【ID野球の原点】サインを見抜くブレイザーの千里眼 恐怖の口笛は相手を戦慄させた

広島に球団創設初優勝をもたらすなど、広島黄金期を築いた古葉竹識監督(右端)。ベンチの陰に隠れる姿も話題になった

【ID野球の原点・シンキングベースボールの内幕(5)】野村克也氏の代名詞とも言えるのが、データを重視した「ID野球」。その原点となったのは南海時代にドン・ブレイザー氏が日本に持ち込んだ「シンキングベースボール」だった。「ブレイザーの陰に市原あり」と呼ばれた側近の市原實氏が、2007年に本紙で明かした内幕を再録――。(全16回、1日2話更新)

ブレイザーの口笛が大阪球場に響きわたると、南海ベンチに緊張が走る。それが「ウオーニング」(緊急事態発生、警戒せよ)の合図だったからだ。

ファンの大きな歓声の中にあっても、彼独特の口笛の音はよく通った。たいていは7回以降1点勝負の重要な局面で、攻撃側の南海にヒットエンドランやスクイズのサインが出ている時だ。

ブレイザーは相手ベンチや捕手の動きなどから「ピッチドアウトのサインが出ている」と察知すると、その瞬間に口笛による「作戦中止」を発動した。ベンチから出ているサインを解読し、捕手の動きをつぶさに観察する。それは百戦錬磨のブレイザーにしてみれば造作もないことだった。

相手球団のサインを解読するためには、3人いればまず問題はなかった。1人がサインを出す監督、コーチを観察し「左耳、胸、右ひじ、帽子」などと、触った場所をすべて言葉にして伝達する。すべての場所に「帽子=1、右耳=3、右肩=4」などとナンバーを振っておけば分かりやすい。これを2人目が克明にメモを取る。そして3人目はサインを受ける選手を観察し「見ている、まだ見ている…。今、目を切った」とサインが出ていた時間を2人目に教える。そうやってできたメモと実際に起きたプレーと比較するのだ。

例えば「帽子」の次に触る場所に共通点があるとすれば「帽子」がブロックサインの「キー」(鍵)となる。キーと取り消しキーが分かれば、あとは時間の問題だ。大事な試合終盤にはもう相手ベンチのサインは丸裸にされていた。

かつて広島監督の古葉竹識がベンチの陰に半身を隠した姿が話題となったことがあったが、これには「相手にサインを盗まれないため」という理由があった。監督がベースコーチに出すサインは簡単なフラッシュサインが多く、そのため「解読されやすい」という難点がある。古葉はこれを警戒した。南海時代、ブレイザーの門下生としてやはり「シンキング・ベースボール」に共鳴していた古葉は、その経験を生かして広島に行ってから指導者として成功した。ブレイザーの頭脳野球はそうして他球団にも広まっていった。

以来、ブレイザーの口笛は相手にとっても脅威となった。特に相手投手はたまったものではない。投球動作に入った瞬間、特定の球種を投げようとすると彼の口笛が不気味に響くのだ。そう、ブレイザーは球種伝達も口笛によって行っていた。=敬称略=

☆いちはら みのる 1947年生まれ。千葉県出身。県立千葉東高―早稲田大学教育学部。早大では野球部に入部せず、千葉東高の監督をしながらプロの入団テストを受験し、69年南海入り。70年オフに戦力外通告を受け71年に通訳に転身する。79年に阪神の監督に就任したブレイザー氏に請われ阪神の守備走塁伝達コーチに就任。81年にブレイザー氏とともに南海に復帰すると、89年からは中西太氏の要請を受けて近鉄の渉外担当に。ローズ、トレーバーらの優良助っ人を発掘した。ローズが巨人に移籍した04年に編成部調査担当として巨人入団。05年退団。

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