防御率2.77でも「投げ方が分かんない」 広島ドラ3大道が敗戦と引き換えに得た渇望

広島ドラフト3位で八戸学院大の大道温貴【写真:高橋昌江】

3年の春はリーグ優勝に導くも「僕としては、一番苦しかったです」

今秋のドラフト会議で広島から3位指名された八戸学院大の大道温貴投手は、正村公弘監督への感謝をこんな言葉で表現した。「僕という投手を作ってくれた」。春日部共栄高から進学し、投手育成に定評がある正村監督のもとで成長。夢の扉を開いた。文字にすると、わずか二文字の「成長」。その過程はいかなるものだったのか。4年後のプロ入りを目指して進学した大学生と、これまで好投手を輩出してきた監督の4年間の物語――。第3回は、3年春にあった分岐点を振り返る。

3年の春、八戸学院大は11季ぶりにリーグ戦を制し、7年ぶりの大学選手権出場を決めた。しかし、大道は快刀乱麻の大活躍というわけではなかった。

「僕としては、3年春が一番、苦しかったです」

手元の資料も見て「ほら、防御率もやばいですよ、ワーストです」。防御率2.77。4年7季(4年春はコロナ禍で中止)で1点台が4回。4年秋にいたっては、5試合36回で自責点が「1」で、防御率0.25だった。

「3年春のリーグ戦はバッターを抑えても、しっくりこなかったんです。腕が出てこない感じがあって、リリースがもう、分からない。手先に感覚がなくて」

リーグ戦2週目の1戦目が雨で順延になった。練習した花巻球場のブルペンで、大道は正村監督に「投げ方、分かんないです」と吐露している。「ただ、そんなね、私が見ている感覚では悪くないんですよ。自分でハマっちゃった」と回想する正村監督に「そう、そう、そうです」と大道。リーグ戦は他の投手陣と攻撃陣の奮闘で優勝。久しぶりの全国切符を手にしたが、気持ちはどんよりしていた。

正村監督は「軸がぶれて、バランスが悪かった」のが不調の要因とみた。リーグ戦終了後、投球フォームの修正に着手。「毎日、みんなはグラウンドに向かうんですけど、僕は室内練習場からスタート。室内でネットスローをしてからグラウンドに行っていました」と、大学選手権に出発するまで約3週間、正村監督と特訓の日々を送った。

大学選手権で志願の続投も敗戦…引っ張った監督の思い

ネットスローは下半身の動作を身につける「ロッキング」と呼ぶピッチングドリルで行った。後足(右投手の場合は右足)と前足(右投手の場合は左足)を肩幅の2倍ほどに開き、まずは前足に重心をかける。後足に重心を移す時にテークバックをとり、再び前足に重心移動する時に球をリリースする。「他のチームでロッキングをやっている選手がいますが、頭が捕手側に突っ込むことが多い。うちは頭を残させるんです」と正村監督。重心移動で骨盤を回転させる時、体の中心軸が地面に対して垂直であることを重視する。

「ロッキングって、うちの野球部でも完璧にできる人、少ないんですよ。(投げ終わりに前足の)左股関節にかかる力が上から下ではなく、逆に下から上。自分の中でガラッとフォームが変わった感じになるんです」と大道。股関節から地面に力を伝えていた感覚から、地面からの力を股関節に伝わる感覚が身についた。「地面から力をもらうため、まずは『軸を地面に埋め込むようにねじ込んでいけ』という表現をします。沈んで、上がる時、体の軸が残っていないと、真上に上がれないんです」と正村監督。

6月10日、大道は東京ドームのマウンドに立った。ボールに力を伝えられる投球フォームになったことで「伸びがよくなった」という140キロ台の直球にチェンジアップを制球よく使い、三振の山を築いていった。打線も前半で3点を奪ってリード。正村監督は完封させるつもりでいた。ところが、前半に飛ばして体力が奪われ、中盤で球速が落ちてきた。変化を感じた正村監督はベンチで「代わるぞ」と伝えたが、大道は「いや、投げさせてください」と志願。「ちょっとなぁ…」と、指揮官が考えている間もなく、「キャッチャーに聞いてください」とたたみかけた。

続投。「ランナーを出したら終わりな」。正村監督はそう伝えていたが、走者を背負っても代えなかった。8回の無死一、二塁をしのいだ大道は9回もマウンドへ。だが、内野安打と2四球で走者をためた。1死満塁。ベンチは動いた。降板。2番手で中道佑哉(ソフトバンク育成2位)を投入したが、流れを止められず、最後は走塁妨害もとられ、3-4のサヨナラで敗れた。

「なぜ、引っ張ったのか」。聞いたのは野暮だった。制球力に長けたサウスポーとして社会人野球まで経験し、投手という“生き物”の心情は分かっている。

「大道はリーグ戦後、変わってくれた。だから、ここで完封したら、もうひとつ、上にいくんじゃないかと期待していたんですけどね。そこが私の甘さであり、“ピッチャー”ってことなんですよ。投げたいに決まっているんだから、ピッチャーなんて、あそこまで行ったら。完封したいんだから。勝つ監督は『もういいよ』って代えるんでしょう」

モチベーションを手に入れ、3年秋のリーグ戦は2試合で完封

ボールが証明した3週間の成果。2年間の積み上げ。この先への渇望。1試合には現在・過去・未来が詰まっていた。

「僕、あの試合、悔しさよりも、『ここまでできた』という気持ちの方が強かったんです。もっと頑張れば、上に行けるんじゃないかって。あの試合がなかったら今の自分、ないので」と大道は言う。「チームは犠牲になったけど」と、指揮官としては言いにくそうに正村監督もこう話す。

「あそこで勝っていたら、今の大道はないかもしれないな。そこからだよ、大道が、あの悔しさをバネに…。あ、悔しくなかったのか。お前は行けると思ったんだもんな」

「はい」と素直に認める大道に「うちのポジティブシンキングが」と笑った。

チームの敗戦と引き換えに、大道はモチベーションを手に入れた。「まだ完封する体力がなかった」と体力強化を課題に真夏のグラウンドを走り込んだ。夕食の後に夜食もたいらげ、体重を5キロも上げた。暑さに打ち勝ち、「ランニングを入れながら体重を増やせた」ことは自信になり、3年秋のリーグ戦は2試合で完封してみせた。

夜明け前が、いちばん暗い。苦しかった春のリーグ戦。手応えをつかんだ全国舞台。希望を見出した秋。ジェットコースターのような3年生の終わりに、大道は「プロ」の輪郭をはっきりとさせる。それには「地獄」と感じた、ある出来事が関係していた。(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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