ノムさんニコニコ退任の舞台裏で楽天フロントは〝野村色一掃〟を断行

CS敗退が決まり野村チルドレンに胴上げされた(2009年10月24日)

【球界平成裏面史・楽天09年編(10)】チームを球団初のAクラス、クライマックスシリーズ(CS)進出に導いた名将が退任に追い込まれるというミステリーの要素も含んだ平成21年(2009年)の〝ノムさん劇場〟は、いよいよフィナーレを迎える。

野村克也監督が率いる楽天は日本ハムとのCS第2ステージで2連敗スタート。しかも、第2戦終了後には楽天グループの総帥・三木谷浩史会長とノムさんのトップ会談が行われ、既に打診されていた名誉監督への就任や愛息・克則バッテリーコーチの処遇などについて話し合われた。

王手をかけられて迎えた10月23日の第3戦、いろんな意味でピリピリしていた番記者の前に姿を見せたノムさんは、こう言って周囲を驚かせた。

「スッキリしたよ。気分爽快。晴れ晴れと退散します。三木谷さんからは若手を指導、教育してほしいって言われたよ。育成かな、たぶん。ありがたいのは克則を気にかけてくれたこと。『責任を持って面倒を見ます』ってな。トップの人に言われたらスッキリするよ。中間管理職に言われるよりも…」

事実上の名誉監督受諾宣言――。翌日には名誉監督の報酬が「1年1億円の3年契約」であることも報じられた。

第3戦は先発の田中が先制を許すも9回を6安打2失点に抑えて3―2で逆転勝ち。しかし、第4戦は6投手で計14安打されて4―9の完敗。杜の都を熱狂させた楽天の平成21年シーズンが終わり、ノムさんのユニホーム姿、背番号19は見納めとなった。

日本ハムのセレモニー終了後、チーム全員が札幌ドームの右翼席に陣取っていた楽天ファンにあいさつしたタイミングで稲葉、坪井、吉井投手コーチをはじめ、日本ハムに在籍する〝野村チルドレン〟が、その輪に加わった。招かれたノムさんは照れくさそうにしながら輪の中心に入り、5回ほど宙に舞った。

またも男泣きするのか――。そんな淡い期待を抱いていた番記者の前に姿を見せたノムさんは、いつも通りだった。開口一番に「敗戦監督に話なんてあるのか。日本シリーズでもあったか、記憶にないぞ」と切り出し、多くのテレビカメラを前に「就職お願いします! 明日から浪人だから」と〝就活宣言〟。ここから20分以上にわたるボヤキ大会が始まった。

ひとしきりCSでの戦いぶりについてボヤキ倒してから、ようやく自身の話になった。「胴上げ? 嫌だね。照れくさいじゃん。あんなの初めてやん」と笑ったノムさんは「でも稲葉、坪井、吉井とそういう連中もお別れしてくれて感無量。やっぱり人間、縁だから。そういう縁を持ったのがユニホーム着て頑張っているのは喜ばしい。『人間、何を残すか』というけど、人を残すのが一番だと思うし、少しは野球界に貢献したかなという心境だね」と最後はしみじみ語った。

終戦から一夜明けた10月25日、新千歳空港で報道陣に対応したノムさんは「名誉監督」について改めて「断る理由はない。評論家になっても解説やってもいいということだから」と前向きにコメントした。ユニホームへの未練ものぞかせてはいたが、どこかスッキリした様子で機内へと姿を消した。3年総額3億円の報酬に加え、評論活動の自由など球団が提示した数々の〝敬意と誠意〟にノムさんも矛を収め、一連の対立も終結した…かに見えた。しかし、舞台裏では球団フロントによる〝野村色一掃〟が断行されていた。

一軍コーチで残留したのは佐藤義則投手コーチと山田勝彦バッテリーコーチのみ。三木谷会長から残留を約束された克則コーチは態度を保留したが、弱小チームを2位に躍進させたコーチのほとんどは50万円程度の功労金をもらっただけでクビになった。関係者によると「クビを宣告されるなり、さっさと荷物を片付けて怒りを押し殺したまま球団を出て行った」人や「監督が以前に言っていた『結果がすべてじゃないのか』って僕らのセリフだよ」と吐き捨てるように言った人もいたという。

チーム関係者からは、こんな切ない証言も聞こえてきた。「野村監督は最後の試合の後、コーチ陣の今後を心配して『俺が力になれることがあったら相談に来てくれ』と言ったそうだけど、本当にそう思うなら、フロントに『俺の手足となって頑張ってくれた。なんとかしてやってほしい』とお願いしても良かったのではないか。こんなこと言いたくないけど、いい思いしたのは結局自分だけじゃないか…」。波瀾万丈の「ノムさん劇場」は美談で幕を閉じたわけではなかった。

=この項終わり=

© 株式会社東京スポーツ新聞社