平成16年の阪神春季キャンプで勃発 鳥谷フィーバーの最中に「脅迫事件」

ノックを受ける鳥谷(左)と藤本

【球界平成裏面史 阪神・鳥谷編(1)】阪神では6年ぶりとなる生え抜き指揮官、岡田彰布監督が誕生したのは平成16年(2004年)のこと。前年に星野仙一監督の下で18年ぶりのリーグVを飾った余韻が残る中で臨んだ就任1年目のシーズンは4位に終わった。翌年にリーグ優勝していることから平成16年は「空白の1年」となった格好だが、春季キャンプから沸きに沸いていた。早大からドラフト1位入団した鳥谷敬内野手(現ロッテ)の存在があったからだ。

注目は正遊撃手争いだった。即戦力として将来も嘱望されていた鳥谷にとって、最大のライバルは平成15年に初めて規定打席をクリアし、キャリアハイの打率3割1厘をマークしV戦士の一人となった藤本敦士。「牛若丸」の異名を取る名遊撃手で昭和60年(1985年)の日本一監督、吉田義男氏による直接指導も展開されるなど、キャンプ一番の見どころとなった。

一方でグラウンド外では物騒な「事件」も発生していた。熱狂的な鳥谷信者とみられる一部ファンから藤本の実家が営む兵庫県明石市の焼き鳥店に嫌がらせの手紙が舞い込み“警察沙汰”となったのだ。

藤本家に差出人不明の手紙の数々が届くようになったのは鳥谷が入団した前後から。消印は東京・世田谷区などを中心とした首都圏で、その文面は「鳥谷が入団してざまあみろ」から、とても言葉にはできない誹謗中傷や過激な脅し文句まであったという。

この異常事態に、藤本家は知人の市会議員と善後策を協議し、警察に相談した。藤本も「何で僕じゃなく、親父の方にそんな手紙が届くのかわからない。トリ(鳥谷)とも普通に接しているのに…。嫌な話ですよ」と気が気でなく、チーム内からは「藤本ほど気のいい男はいない。鳥谷との戦いも正々堂々とやっているのに何で中傷されないといけないのか」と怒りの声まで上がった。

昨今ではSNSでの中傷が深刻な問題となっているが、当時は激励も含めてまだ手紙が主流だった。確かにこの種の心ない嫌がらせは今に始まったことではなく、過去にはカミソリの刃やゴキブリの死骸入りの手紙を不振の選手らに送りつけるようなこともあったと聞く。

しかし、この件は鳥谷の公式戦デビュー前のこと。それだけ鳥谷への期待値が高かったのかもしれないが、当事者にとっては迷惑以外の何物でもない。鳥谷の母・明美さんも「そんなことはやめてほしい。藤本選手のご両親に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と本紙に訴えたほどだった。

肝心の正遊撃手争いの行方は紅白戦、オープン戦に突入しても混沌とした。早大の先輩でもある岡田監督は「最初から新人とは見ていない」と鳥谷に早々と合格点を与え、開幕スタメンを示唆したが、これに主力選手が猛反発。「攻守ともに藤本が上。(鳥谷は)3割打者を簡単に外すほどの力には至っていない。去年のようなつなぎの打線で優勝するなら藤本が必要」「開幕ダッシュを狙うなら鳥谷はベンチ」など異論が噴出した。

鳥谷も複雑な心境だったに違いない。今では決して弱音を吐かないイメージだが、1年目は「プロに慣れるのは簡単じゃない。体力的にはまだキツくないんですが、プロはいろんな意味で大変です」と“泣き”を入れることも少なくなかった。グラウンド内外での精神的ストレスも多分にあったのだろう。ただ、デビュー前の“鉄人”は何かとやり玉に挙がることが多かった。

=続く=

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