笠井信輔アナ「とくダネ!」終了の思い出をつづる「小倉さんとは正面切って反論することも」

笠井信輔アナ

フリーアナウンサーの笠井信輔氏(57)が13日、ブログで3月いっぱいで終了するフジテレビ系「情報プレゼンター とくダネ!」の思い出をつづった。

笠井氏はフジテレビのアナウンサー時、同番組がスタートした1999年から2019年の20年間同番組のサブ司会を務めた。

13日の放送では第1回目の放送時の映像が長流され「第一回放送の若い自分が映っていました 万感の思いです 36歳から56歳までアナウンサー生活の3分の2を『とくダネ!』で過ごしました」と感慨深気に記した。

「とくダネ!」は99年、「ナイスデイ」の後番組としてスタート。笠井氏は「ナイスデイ」でメイン司会を勤めていたが「とくダネ!」のプロデューサーからニュースコーナーの担当を依頼されてサブ司会を務めることになったという。

当時ワイドショー番組は芸能中心で政治や経済を扱うということはなかったが「とくダネ!」は新しい情報番組、朝のニュースステーションという主旨でスタートしたといい「それが20年も続くなんてほんとに奇跡体験です」と感嘆した。

またMCの小倉智明について「小倉さんは、最初のミーティングで『1ヵ月でこの番組を視聴率ナンバーワンにします』と力強く全スタッフの前で話したのをいま

だに覚えています」と振り返った。

笠井氏は「そんなの無理だ」と思っていたというが、「視聴率が振るわなかったのは最初の2週間だけ、全く新しいプレゼンテーションスタイルの情報番組は、あっという間に視聴率1位になったのです 少ないスタッフで、芸能情報だけでなく、初めて政治や経済も扱ったので、本当にスタッフが倒れてゆく、週に3日4日徹夜をすると言うような状況の中で私たちは闘いました」と当時の過酷な現場をなつかしんだ。

MCの小倉とは意見が対立することも多かったといい「普通は遠慮するんでしょうけども、10年20年と一緒にいるとまるで父親のようで『なにいってるんですか』って、スタジオで正面切って反論したことが何度もありました」とも。

その上で「ただ番組はいつかは終わるものです いつまでも、感傷にひたっているわけにはいきません 今はとにかく3月26日まで、小倉さんが朝の情報番組史上最も長いマラソンのゴールテープを無事に切ることを祈ってます その時はスタジオで、カメラの反対側で小倉さんを迎えようと思ってまいます 書いてるだけで涙が出てきます」と番組最後に向けての思いをつづった。

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