通算324勝のサットンが75歳で死去 200投球回20度は史上唯一

日本時間1月20日、ドジャースなどで23年間にわたって活躍して通算324勝を挙げたドン・サットンが死去したことが明らかになった。75歳だった。サットンは2002年に腎臓がんと診断され、左の腎臓を失った。翌年には肺の一部を摘出する手術も受けた。しかし、治療を続けながら2019年シーズンの開始時に左大腿骨を骨折するまでブロードキャスターとしてのキャリアを継続。残念ながらブロードキャスターの席に復帰することはできず、この世を去ることになった。

サットンは1964年9月にドジャースと契約し、1966年にメジャーデビュー。サンディ・コーファックス、ドン・ドライスデールらと先発ローテーションを形成し、1年目から12勝12敗、防御率2.99、209奪三振の好成績を残した。

全盛期は1972年からの5シーズン。5年連続でサイ・ヤング賞投票の5位以内にランクインし、1972~76年の6年間でオールスター・ゲームにも4度選出された。サイ・ヤング賞を受賞することはなかったが、ドジャースを去る1980年まで15年連続2ケタ勝利を記録。1980年には自身唯一のタイトル(最優秀防御率)を手にした。

1981年からの7年間はアストロズ、ブリュワーズ、アスレチックス、エンゼルスを渡り歩き、8勝に終わった1983年を除く6シーズンで2ケタ勝利を記録。現役最終年の1988年にドジャースへ復帰し、23年間のメジャー生活に幕を下ろした。

ドジャースで記録した233勝と2696奪三振は、現役引退から30年以上が経過した現在も球団記録として残っている。また、故障なく投げ続けたため、通算756先発は歴代3位、通算5282.1イニングと3574奪三振は歴代7位にランクイン。ワールドシリーズにはドジャースで3度、ブリュワーズで1度出場したが、チャンピオンリングを獲得することはできなかった。

1998年、5度目のチャレンジで得票率81.6%を記録してアメリカ野球殿堂入りを達成。これを記念し、背番号「20」はドジャースの永久欠番に指定された。シーズン200イニングを20度記録したのは史上唯一。「ワークホース」の代表格とも言える名投手だった。

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