子どもたちの“始まり”を大切に 30年間の指導者人生「体動く限り続ける」

「子どもがかわいくて、好きだから」と今もグラウンドに立つ松本監督=佐世保市、旧戸尾小グラウンド

 スポーツ界において、子どもたちに「楽しさ」「基礎基本」を教える指導者は不可欠な存在。佐世保市の学童軟式野球クラブ「戸尾ファイターズ」を指揮する松本大三郎監督も、その一人だ。今年で70歳。チームを初の全国に導いた2000年時の複数の選手は、その6年後、清峰高の主力として選抜高校野球大会で県勢初の準優勝を果たした。この春も、教え子数人が大崎高のメンバーとして甲子園の土を踏む。

■指導は基本
 旧旭中卒業後、佐世保南高で陸上部に入部。1969年の長崎国体に向け、2年の県新人大会400メートルを制するほどの実力者だった。明大進学後は軟式野球同好会に所属。卒業後は警視庁へ就職が決まっていたが、父が倒れたこともあって故郷に戻った。
 29歳で結婚して、30代半ばに食堂を開業。それから、ソフトボールのコーチを経て、自らの母校でもある旧戸尾小グラウンドで現在のチームを率いる。「朝6時に起きて仕事の準備。午後は途中練習に出てから食堂に戻り、店を閉めた夜11時くらいから夜中2、3時まで父兄や仲間と飲んで…」。60歳を過ぎて食堂を畳むまでは、そんな日々を繰り返した。
 練習中、狭いグラウンドからボールが外に飛んでいったことが何度もある。今はフェンスが高くなったが「民家の雨どいに挟まったり、ガラスを割ったりして、菓子を持ってよく謝りに行った」と当時を懐かしむ。
 今も自らの体を鍛え、30人超の選手の打撃投手を務める。1日何百球も投げて周囲を驚かせる。「現在は親子のキャッチボールが減って、最初は手取り足取り教えないといけない。野良犬と山で遊んでいた自分たちのころに比べて体が強くない子も増えた」と時代の変化も感じる。でも「子ども目線で遊ぶ感覚」という点は変わっていない。
 指導方針は「基本」。守備はできるだけ全ポジションを守れるようにして「中学生になって自分がやりたいところを伝えてアピールするようにと言っている」。打撃は練習試合で「きょうは全員左打ち」と言う年もあったほどで、学年に約半数は両打ちの選手がいる。

■好きだから
 刈り上げた髪、口元にダンディーなひげ。一見、近寄りがたい雰囲気のこわもてが、選手たちの話になると途端に柔和になる。「子どもがかわいくて、好きだから」。そんな性分だけに、約30年間の指導者人生を振り返ってみると「うれしい思い出より、毎年やってくる卒団式がさみしい」。一方で多くの教え子が次のステージで活躍する姿は「テレビで見るくらい。自分の方のチームがあるから」と口出しはしない。
 ずっと支え続ける妻、裕子さん(65)の内助の功も大きい。「どの監督も、みんなそうなんじゃないかな。妻や息子たちから『死ぬまでやれば』と言われている」と感謝する。戸尾ファイターズは「大げさに言えば自分の人生みたいなもの。体が動く限り続けたい」。
 これからも子どもたちの“始まり”を大切に、一緒に楽しんでいく。

2000年に全日本学童軟式野球県大会で初優勝を飾り、初の全国出場を決めた戸尾ファイターズ(最後列中央が松本監督)

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