【昭和~平成 スター列伝】ルーキー江川の“月曜病” 異例の孤独キャンプでもペース崩さぬ怪物ぶり

江川の周囲はいつも報道陣でいっぱい

【昭和~平成 スター列伝】コロナ禍の中、沖縄県などで無観客ながらプロ野球のキャンプが行われている。ルーキーの真新しいユニホーム姿が球春到来を印象づけるが、過去にはジャージー姿でプロのスタートを切った者もいた。

1978年、巨人はドラフト会議前日の11月21日、いわゆる「空白の一日」に江川卓と電撃契約。巨人がボイコットした翌日のドラフト会議では、阪神が江川との交渉権を獲得した。解決への出口が見えない中、金子鋭コミッショナーは12月22日、江川にはまず阪神と契約を結んでもらい、その後すぐに巨人にトレードさせるとの「強い要望」を示した。

阪神は79年1月31日、江川と契約した上で同日中に巨人・小林繁とトレードすることを発表。しかし、新人を開幕前にトレードすることは野球協約で禁じられているため、まず小林が金銭トレードのような形で阪神に移籍し、江川の移籍は開幕日の4月7日まで認めないとの案でまとまる。江川の一軍登録は6月まで認められないことも決まった。

キャンプやオープン戦への参加が認められなかった江川は、実家のある栃木・小山市の小山運動公園で、運動具メーカー勤務の巨人OB・矢沢正を相手に孤独なトレーニングを続けた。

とはいえ、報道陣の数は通常のキャンプと変わらないほど。とりわけ3月19日は異様な熱気に包まれた。ブルペンで100球程度投げ込むと予告していたからだ。ところが「今日はボールの回転がよくなかったし、ちょっと寒かったので…」とあっさりとドタキャンした。

本紙は「変だったのは投げ込みを延期したことだけでなく、ノックにしろ、ペッパーにしろ、江川の動きそのものがまるでスロービデオのようにノロノロしていたこと」と指摘。矢沢は「一日休ませるといかんのかなあ…」と首をひねった。

練習は日曜日を休みとした6勤1休で行われ、この日は休み明けの月曜日。どうも江川は一日休むと一気に体がなまってしまうようで、矢沢は「自分で工夫して家でもボールを扱うようにしたらどうだろう」と提案した。

後に「一発病」「百球肩」などと言われる江川だが、この時は「月曜病」と言われた。いずれにしても置かれた立場などを考えれば、少しでも印象をよくしようと努めるのが普通だ。サボりのように見られようともマイペースを崩さない姿勢は、やはりただ者ではない。(敬称略)

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