【東日本大震災10年】J1川崎、陸前高田と交流10年 募金や教室「風化を防ぎたい」

試合前に行われた募金活動に選手たちが参加した=10日、等々力陸上競技場

 東日本大震災から10年-。サッカーのJ1川崎は「支援はブームじゃない」を合言葉に独自の復興支援プロジェクトを立ち上げ、津波で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市との交流を続けてきた。コロナ禍で直接的な活動は困難な状況となっているが、クラブは「これからも地元の人たちと新しいものをつくり上げ、風化を防ぎたい」とスポーツを通じた結び付きをさらに強めていく。

 東北地方を襲った大震災からちょうど10年たった11日。2年ぶりに行われたクラブの街頭募金活動には、昨季限りで現役引退した中村憲剛氏(40)の姿があった。

 10年前に陸前高田市のサッカー教室で交流した2人の大学生と一緒に募金を呼び掛け、「僕らが陸前高田に足を運ばなければ(2人は)ここにはいなかったと思う。震災が起きたことは良くないことだけれど、それをきっかけにこういう形で(震災)10年が表現された。これからも関係を続けていけたらいい」と年月の重みをかみしめた。

 2011年に始まった復興支援活動「Mind─1ニッポンプロジェクト」は多岐にわたる。震災直後には津波で教材を流された陸前高田市内の小学校にクラブが作成した算数ドリルを寄贈。その後も毎年のサッカー教室や地元の子どもたちをホームゲームに招待する「かわさき修学旅行」など切れ目のない取り組みで交流を深めてきた。

 15年には同市と友好協定を締結。自治体側もクラブを応援する「陸前高田フロンターレサポーターず」を発足し、復興が進む街角をサックスブルーのタペストリーやポスターが彩る。地元酒造と協力してオリジナルの日本酒「青椿(あおつばき)」を発売するなど地域活性化にも貢献。この10年で被災地支援は相互交流へと形を変えた。

 震災10年を迎え、クラブは津波で流されなかった同市内の「奇跡の一本松」と水平線に上る太陽をモチーフにして「10」を表現したロゴを作成。オリジナルTシャツや缶バッジなどのチャリティーグッズの販売で今後も復興を後押しする。

 復興支援活動を担うタウンコミュニケーション部の若松慧プロモーションリーダー(32)は「この先10年、20年と手を取り合って街を盛り上げていくことが大切。地元の人たちが少しでもポジティブになれることをやっていければ」。視線は未来へと向けられている。

© 株式会社神奈川新聞社