『がん=死』と思われていろいろつらい 46歳、両側乳がんになりました78

検査・告知・手術・仕事復帰・・・誰かのお役に立てればと綴ります。

今回も3月14日にお送りした、ピンクリボントークのつづき、をお届けします。

『がん=死』の思いこみが苦しい

『がん=死』という社会の思い込みというのが強いおかげでがん患者の皆さんがちょっと働きづらかったり、会社にいいづらかったりということがあるのではないかなという風に思います。北海道庁がまとめたがん患者さんへのインタビューでも多く寄せられていました。

決めつけ、偏見、無理解、知識のなさ。どれも患者さんを傷つけます。

阿久津『(一般的に)ステージ4の方は寝たきりという印象があるということなんですけどそうではありませんよね?』

矢嶋先生:『やっぱりも終末期のステージに入っているっていうふうに捉えられるかもしれませんが(転移されていても)症状がないという方もいます。治療しながらもちろん社会に参加し続けることもできるんですよね。ただその治療を受ける際に皆さん、抗がん剤っていうとどうしてもその副作用のイメージ、髪がぬける、吐き気がひどい、そういったイメージを持ちやすいと思うんですが今、治療は多岐にわたっていて、抗がん剤治療したその日に具合が悪いわけじゃないので、何日か後に悪くなったり、あるいは抗がん剤当日はまだ平気なんだけど、副作用を抑えるための抗アレルギー剤をたくさん飲んだりするんですが、それですごく眠気が辛くなってしまって体が怠くて働けない。など人によって、たくさんのバリエーションがある。
そういう情報を会社の人と共有して、この日は働けるんだけど、この日が働けないとかやっぱり社会参加し続けたい意志をちゃんと伝えていくっていうことも辛いけども大切だなーっていう風に思って助言させてもらってます。』

『抗がん剤の激しい副作用で働くのは無理だろうという風にもう最初から言われてしまうとよくないのではないか。治療を受けてみないとこれはわからないんですけど本当に何にもなく髪だけ抜けたけど、大丈夫っていう人いっぱいいるんですよ。一方でやっぱりちょっと大変で休みたいって言う人もいます。それを率直にできる相談環境さえあれば、乗り切れるんじゃないかなって思うんですよね。』

『”がんばれ”じゃなくって、”分かったよ”って言う・・・。受け入れてもらえる社会があるといいなと思います。』

相談ができるような職場の空気であっても、親しい友人であっても、何気なく言われたことで傷ついてしまった『言葉』というのも患者さんであれば多くあると思います。

恵理さん:『私は家族とかお友達にはすごい恵まれていて、告知された段階からSNSを通して伝えていました。サポートも受けて本当にありがたかったんですけどその中でちょっと全部は言えないんですけど手術から1週間で退院、その後1週間で仕事復帰したんですけど。働いているのに なんで レスポンスが遅いんだろうということを言われたりとか、副作用のことを SNS にちょっと載せたんですけど、よくそういうことをかけるねって言われたことがあって。』

『副作用は本当に人それぞれでまあ私は軽い方だったと思うんです。ご飯食べられないこともなかったし時短で働くこともできたし、ただやっぱり自分のようになってほしくないと思って検診を受けてほしいということで、こういう症状がありますよっていう風に乗せたときにちょっとLINEとか来ました。』

沙希さん:『私は結構みんなに気にかけてもらう機会は多かったと思いますし、友達にもなんかこう励まされて嬉しかった言葉の方がたくさん残ってるんですけど、今言われても何とも思わないけど、当時治療してる時に言われるとちょっとグサッとくるって言葉はある。』

『何もできないけど頑張ってねって言われた時が結構きついな、って思って。頑張ってねって言葉を送っているんだけれども、何もできないからって言うことをなんか先に言われちゃうとちょっと距離を感じた。』

まどーんさん:『無理しなくていいからさ、ですかね。あと逆に気を使われすぎて言葉もないというか、会話は減って連絡が来なくなる。病気だって聞くとそれで対話とか相談なしで勝手に仕事の量とか決められてしまったり、きっと今あの方、無理だろうみたいな。』

『そこまで気を使われすぎるとこちらもやりたいことが本当はできるのにみたいなのがあったりするのでちょっと気軽に声をかけて相談しながらやればよかったなぁっていうかそういうのはありました。』

私には声をかけずらかったか、同僚の森アナに尋ねてみました。

森アナ:『それこそ10年以上前から21歳で乳がんを患った女の子の取材を阿久津さんが始めて、私がナレーションを担当するという形で。取材が進むにつれて乳がんに関しての関心も高まりましたし、すごく勉強もするようになりました。もちろん驚きましたけれどもお互いに知識もしっかり蓄積してきたし、最も自分にとって良い選択なのかというような判断材料もおそらく学べてきていると。だから一緒に頑張っていけると思ったんですよね。だから話すことを何か抵抗あることもなかったし、それよりももっともっと一緒に仕事をしていく中で自分にできることは何かなっていうのを考えるようになりました。』

阿久津『まさに沙希さんが言ってくださった、何かできる事ある?って言う言葉を実はさやかさんからもらっていたかなというふうに思いだしました。矢嶋先生は告知された瞬間に、働けますかとかと聞かれることも多いと思うんですけれども大事にしていることはありますか?』

矢嶋先生:『がんだ、という風にお伝えしたときに、受け入れるだけで精一杯なんだけれども、やっぱり仕事を続けられますかって多くの方は尋ねてきます。会社に知られるのがやっぱり嫌だーっていうことで、すぐに退職を考えるという方も多く、一部、いらっしゃる。今後の治療がどれだけ長くかかるのかっていうことについては、乳がんって一度診断されて、最初の集中した治療の時期が終わっても長く付き合っていく必要があるがんであるために、その10年ぐらいのライフスタイルを考えて、決めていかなきゃいけないというタイプのがんなので。そういう点ではもう会社の方の理解はどうしても必要だとその時点でお伝えして、とにかく自分から診断書を提出することも、もちろんだけれども今後の治療診断・治療結果を全て含めて、ご自分でも流れを良く説明して理解を得られるよう頑張ってみましょうってことでお伝えしてます。』

こうしたことを言ってくださる先生もいらっしゃれば、治療のことだけをという先生っていうのもやはりいらっしゃるかなあと思います。

必要なのは『患者力』。わかるまで、理解できるまで、謎が解けるまで、本当に聞いてみるということも大事かなと思います。

あとは、周りの人、(自分に対する、ではなくてがん全体に対して)会社だけではなくて、ご家庭だったり、学校だったり、いろんなところで理解が深まれば・・・。
深まることで私達が生きづらいと考えるような言葉とか感覚が減っていくのではないかなと思います。

みなさんもご意見お寄せください。オリジナルサイトの下にメッセージフォームがあります。お気軽にお寄せください。

そして、『まま・ここっと』春号が出ました。

https://in-cross.com/3458/

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WEB版が出たらまたお知らせします。

今回はおとうさまが乳がんだった、という女性のお話です。

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