【昭和~平成 スター列伝】驚異の11打席連続出塁!! センバツ史上別格の怪物・藤王康晴

藤王は83年のセンバツで活躍した

昨年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で開催できなかった春のセンバツ高校野球が、19日に開幕した。夏の全国大会同様、センバツでも過去に多くの“怪物”が甲子園球場を沸かせたが、1983年の第55回大会に登場した愛知・享栄の藤王康晴はまさに別格だった。1回戦の兵庫・高砂南戦、初回一死一、二塁の第1打席でいきなり右越え3ラン。その後は2打席連続の二塁打、左前打、四球と4打数4安打をマークし、12―3の勝利に貢献した。

続く2回戦の大阪・泉州戦でも四球、本塁打、左前適時打、本塁打と爆発し、5―1の勝利に貢献。準々決勝の静岡・東海大一戦で姿を消したが、初回に内野安打を放ち、大会タイとなる8打数連続安打を記録。次の打席で四球を選び、11打席連続出塁の大会記録をマークした。

とりわけ泉州戦の2本目の本塁打は今も語り草だ。低めのボールに体勢を崩されながらも、右手一本で右翼ポール際へ運んでみせた。驚がくの一打にスタンドのザワつきはしばらく収まらなかったほどだ。

夏の全国大会出場はかなわなかったが、プロ側の高い評価に変わりはなく、中日が1位指名。左の長距離砲としての期待は大きく、“ミスター・ドラゴンズ”高木守道がつけていた背番号1を与えられた。

地元マスコミは連日、大騒ぎで早くもスター扱い。こんな状況に、幼少期からスパルタ教育を施してきたという父・知十六は危機感を覚え「最初から一軍に上がらなくていい。本当の実力がつくまで、じっくり二軍で育ててもらいたい」と球団に要望した。これを受けて、就任1年目の山内一弘監督も「王を超える打者に育てたい。藤王打法というものを身につけるまで、1年ぐらいかけたい」と1年目は育成に費やすことを約束した。

しかし、夏場に一軍昇格。「時期尚早」との指摘もあったというが、34試合の出場で打率3割6分1厘、2本塁打と実力の片鱗をのぞかせた。その後は周囲にチヤホヤされ、本人も悪い意味でその気になってしまい、グラウンド外の話題が増えていった。

90年に日本ハムにトレードされ、92年に自由契約となりそのまま引退。プロ野球はひと握りの天才が必死に努力して一流になれる世界だ。本当にもったいない選手だった。(敬称略)

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