広島市が行う核兵器廃絶や平和の実現に向けた施策を法的に位置付けようと、市議会が起草した「平和推進条例」(仮称)の素案が物議を醸している。被爆者団体や一部の市民から「被爆地の条例にふさわしくない」などと批判が噴出。意見公募(パブリックコメント)には600を超える声が寄せられ、議会は目標としていた3月中の成立を見送った。何が問題なのか。(共同通信=野口英里子)
▽全会派で議員提案
「被爆者の高齢化が進んでいる。彼らの思いを受け継ぐため、今のうちに市の責務や今後の方向性を明文化すべきではないか」
米国による原爆投下から72年となった2017年、市議会本会議での平野太祐(だいすけ)議員(自民)による提案をきっかけに、平和推進条例の議員提案を目指すことで議会が合意した。19年春から全会派の代表でつくる検討会議で立案作業を始め、20年12月に前文と10条からなる素案をまとめた。
素案は、2条で平和を「核兵器が廃絶され、かつ、戦争その他の武力紛争がない状態」と定義。3条で市は「平和の推進に関する施策を策定し、及び実施する責務を有する」とし、5条で市民はその施策に「協力するとともに、平和の推進に関する活動を主体的に行うよう努める」と、それぞれの役割を記した。
また、6条2項で、8月6日の平和記念式典を「市民の理解と協力の下に、厳粛の中で行う」と規定。8、9条で、市に施策の実施状況を議会に報告し、必要な財源措置を講じることも義務付けた。
▽「平和の定義が狭い」
市民に意見を聴いた上で案を固め、被爆75年の節目に当たる20年度中に成立させる―。そんな計画を描いて今年1月15日にパブコメを始めたところ、回答期限が迫った2月上旬、反核・平和運動に取り組んできた市民らの間で、にわかに問題視され始めた。
火を付けた一人は、広島市のNPO法人「ANT―Hiroshima」の理事渡部久仁子さん(40)。自身のフェイスブックで「平和の定義は狭く、市民に協力を強いるような表現もある。このままでいいのでしょうか」と問い掛けた。
渡部さんは、オンラインの勉強会を開いた。検討会議の各会派に呼び掛けたが、参加したのは共産党の中森辰一議員だけ。参加した市民は20人以上。平和の定義について「持続可能な社会という視点が抜けている」、市民の協力条項には「『市が市民の活動に協力する』のが本来の在り方ではないか」などの意見が挙がった。
▽自由あってこその平和
式典を「厳粛の中で行う」とした6条2項も波紋を広げた。
広島では、式典中に会場周辺で市民団体が行うデモや集会の音量規制を巡り、長年議論が続いている。追悼するスタイルは人それぞれ。規制はおかしいとの立場から、広島弁護士会や原水爆禁止広島県協議会(県原水禁)、県原爆被害者団体協議会(県被団協)などは「市民の表現の自由を制限する恐れがある」として、修正を要請した。
県原水禁の金子哲夫代表委員は「自由あってこその平和だ。条例を作ること自体は否定しないが、権力側が恣意(しい)的に解釈できる表現は避けるべきだ」と指摘する。
反対に、式典会場周辺でのデモを問題視する「静かな8月6日を願う広島市民の会」は、素案を支持する意見書を出した。石川勝也代表は「条例一つで自由が奪われることはない。政治家には、静かに祈りたい市民の気持ちを受け止めてほしい」と主張する。
市議会事務局によると、パブコメには計607人・団体が投稿。内容を条文やテーマごとに整理すると、1000件近くに上り、そのうち459件が6条2項に対する意見だった。うち約8割が「厳粛な式典」を望み、条例素案に賛成だった。
一方、「5条は市民の自主性を損なう」「1月に発効した核兵器禁止条約に触れるべきだ」など修正を求める声も多い。条例の必要性を問うものや、「パブコメから1カ月で内容を決めるのは拙速だ」と立案プロセスへの批判も一定数あった。
▽世界に誇れる条例を
「市民と共に、世界に誇れる条例を作ってほしい」。2月下旬、渡部さんは数人で各会派の幹事長や検討会議の委員を回り、議論の継続を重ねて訴えた。
3月18日、パブコメ終了後に初めて開かれた検討会議。本会議が閉会する25日までに、大量で多様な市民の声を踏まえて条文案を再考するのは「物理的に難しい」として、4月以降も検討を続けることが決まった。
代表の若林新三市議(市民連合)は会議後、記者団に「時期的なゴールありきではなく、ご意見を受け止めて協議していきたい」と述べた。
18日の会合は、大学進学を控える高垣慶太さん(18)ら約30人が傍聴した。高垣さんは「ぼくたちの世代が条例の下で生きていくことになる。中途半端なものは作ってほしくない」と語る。「条例の目的が、平和への願いを継承することならば、広島が軍都として戦争加害に関わったことや、格差や貧困などの社会問題にも触れなければいけない」
広島大平和センター長の川野徳幸教授は「核廃絶に注力しますと宣言する条例もあり得るが、それでも国の安全保障政策との整合性など重い議題は避けられないだろう」と指摘する。「市が掲げる『国際平和文化都市』の理想像との齟齬(そご)はないのか。ヒロシマは何を目指すのか。議会と市民が時間をかけて議論をする時だ」