【ドバイシーマC】ハーツクライ 魔法の言葉「次はウイナーズサークルで会おう」が生まれた日

06年ドバイシーマクラシックを勝ったハーツクライ

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=2006年ドバイシーマクラシック】

週末にレースを控えた親しい関係者との別れ際。僕は「次はウイナーズサークルで会おう」と付け加えるようにしています。それは再会を約束するだけでなく、管理馬や担当馬が勝つという意味でもあるので、ほぼすべての方が「おお、そうやな。ありがとう」と返事をしてくれます。どちらにとっても最高な魔法の言葉なんですよ。

もちろん、そのように言い始めたルーツみたいなものはあって、それが2006年のドバイ。ハーツクライがドバイシーマクラシックを勝ったときです。

レース前日、僕らは主催者の計らいでゴドルフィンの施設見学をさせてもらったんですが、そこに橋口弘次郎調教師ご夫妻も来られてましてね。それで、別れ際に橋口師から「キミと次に会うのはレースのときやな」と声をかけられた僕は「次はウイナーズサークルで会いましょう」と。もちろん、それはドバイシーマクラシックのあとに…の意味だったのですが、橋口師からは「そうだな。2回会おう!」。当たり前ですが、ゴドルフィンマイルに出走するユートピアのことも、橋口師は忘れていなかったんですよね。

そして、ハーツクライだけでなく、ユートピアもしっかりと勝利を飾り、2回会う=2勝する約束は果たされました。大きな声で話していた僕と橋口師のやりとりは、有言実行の代名詞としていくつかのメディアにも登場することになったと…。もちろん、僕という存在はなかったことにされてましたが(苦笑)。

ドバイでの2勝はどちらも素晴らしいもので、ユートピアもハーツクライに負けず劣らずの楽勝だったんですが、どうしてもドバイシーマクラシックのほうが記憶に鮮明です。それは長い記者生活の中で初めてにして唯一、競馬場で涙があふれたレースだったからかもしれません。

当時、僕はこのレースをパドック=ウイナーズサークルで見てました。このあたりのことまで書きだすと長編小説になってしまうくらいにいろいろなことがあったんですけど、とにかくハーツクライが楽勝して戻ってきたんですよね。当然、レース後はお祭り騒ぎ。一応、メディアに属する人間なので純粋な関係者ではなく、下手に浮かれないようにそれらの風景をぼんやりと眺めていたんですが、人ごみをかき分け、女性が一人、僕のところへと駆け寄ってきてくれたんです。

その方が橋口調教師夫人でした。僕の両手を取って「松浪さんが応援してくれたので勝てました。本当にありがとう」と。その瞬間に涙があふれてきたんです。レースとは全く関係のないところで。どうしてなんでしょうね? 理由がわからないからこそ泣けたのかもしれません。でも、その言葉が心の底からうれしかった。あの瞬間のことを思うと現在でも目の奥が熱くなってくるほどです。

競馬記者の仕事のほとんどは週末の予想をメインにするもので、そこに関しての公私混同はしないように心掛けていますが、その作業が終わったあとに関しては別──と僕は考えています。私情を絡めてもいい。いや、それこそが必要なのではないかと。以前、橋口師夫人から「近くで見てくれている人の記事は同じことを扱っているものでも他の人のそれと少し違います」と言われたことがあります。もしかしたら、これが理由なのかもしれませんね。コロナ禍により、人との距離が近くなる取材を遠慮しなくてはならない時間が続いていますが、いまはそれがなによりもつらい。このようなエピソードこそが僕らにとっての財産ですし、それは思い入れの深さによって生まれてくるものだとも思っていますから。

というわけで、最後にどこにも出ていないこの日のエピソードをひとつ。新聞にラジオ、テレビ関係の取材を終えた橋口師と2人でナドアルシバ競馬場のスタンドに座り、メインレースのドバイワールドカップを観戦させてもらいました。「あの馬が1番人気ですよ」とパドックを周回する鹿毛馬に僕。すると橋口師は「あんな鹿みたいな馬がダートを走れるのか? お世辞なしでカネヒキリが一番に見えるけどな」。ですが、この「鹿みたい」と評された馬にカネヒキリは一蹴されてしまいます。「こんな馬がダートのGⅠを勝てるのか。世界は広いな」と橋口師。その馬こそがエレクトロキューショニスト。4か月後のキングジョージ6世&クイーンエリザベスSで、ハリケーンランとともにハーツクライの偉業を阻むことになる馬です。この1週間に関しても語られていない〝僕なり〟のエピソードがあるのですが、それはまた4か月後に。

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