1972年3月27日猪木VS大木金太郎“血染めの激闘” 本紙は1面で「猪木が4の字をやった!」

猪木と大木の韓国での死闘を報じる75年3月29日付紙面

【プロレスPLAY BACK(114)】前回は1972年3月6日大田区体育館(現大田区総合体育館)における新日本プロレス旗揚げ戦を取り上げた。同年10月にジャイアント馬場が全日本プロレスを旗揚げしNWAとの関係を強固にすると、猪木は74年から独自の「日本人対決」路線を突き進む。同年3月のストロング小林戦、同年10月の大木金太郎戦で日本中を熱狂させた。

特に日本プロレス時代の先輩・大木とは何度も激闘を展開。今から46年前の75年3月27日には大木の母国である韓国・ソウルで、大木が保持するインターナショナルヘビー級王座に挑戦した。本紙は1面で「猪木が4の字をやった!」とのシンプルながら強烈な見出しと特大写真で詳細を報じた。

「韓国のプロレスファンを沸かせた一戦は27日夜、ソウル市の奨忠体育館に超満員8000人の観衆を集めて行われ、“韓国の英雄”大木が大奮戦した。左耳を切って血まみれになりながらも、頭突きを連打。場外に落としたが、逆に足4の字につかまって両者リングアウトに終わった。

猪木はパンチで左耳に集中攻撃。大木の左耳に血がにじむ。怒った大木は火が噴くような原爆頭突き。猪木は耐える。2発、3発…しかし4発目でついにダウン。猪木は飛ばされて場外に落ちた。館内総立ち。エプロンに手をかけると大木の頭突きが飛んでくる。5発、6発、7発。猪木はリングアウト負け寸前だ。

しかし8発目、猪木の右フックがカウンターでヒット。形勢逆転だ。猪木はすかさず大木の足を取って珍しく足4の字固め。大木は裏をかかれた。自分の必殺技で猪木に足をからめられ、すっかり慌て気味となる。猪木は裏返しにされるとスネを痛めると判断したのか、体をよじって反転した。20秒、30秒…すさまじい声援の中でドーンという大音響。両雄は足4の字をかけ合ったまま場外に転落した。観客は総立ち。ついに20カウントが数えられた。

ざわめくリング上では、猪木と大木が健闘をたたえ合って抱き合う姿がスポットで照らされる。昨年10月10日蔵前国技館のあのシーンが再現された。しかし戦いは続く。両雄は来る4月4日に蔵前国技館で開幕する第2回Wリーグ戦公式戦でまた当たらなければならないからだ」(抜粋)

結局、再戦となったWリーグ戦公式戦は大木が大混乱の末にリングアウト勝ち。しかし猪木は、大木とキラー・カール・クラップに喫したリングアウト負けのみで決勝トーナメントに進出。決勝戦でクラップを撃破して2連覇を達成した。

常に“逆転の発想”を武器に創成期の新日本を躍進させた猪木だが、当時は珍しかった足4の字固めを出しただけで特大写真入りの1面になるのだから、やはり希代のスーパースターだった。現在は闘病生活を送る“燃える闘魂”の元気な姿を一日でも早く見たい。(敬称略)

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