ようやく光明か

 長崎県の人口のピークは造船、水産業に順風が吹いていた1960(昭和35)年で、176万人もいた。ほぼ60年で4分の1ほど減って、今年3月1日の推計では130万人余り▲その県民の数と同じくらいの人が海を渡って来たのだから、とてつもない来客数といえる。2018年に来県したクルーズ船の乗客乗員の総数は125万人に達し、過去最多だった▲8割が中国発着で、多くは長崎港、佐世保港に入った。観光都市として長崎も佐世保も絶頂期にあったのがこの年だろう。翌年は総数100万人を割り込み、盛り返そうとしていた矢先、新型コロナで入港はぴたりとやんだ▲「県民と同じ数」の来客をごっそり失った後、ようやく差した光明だと思いたい。長崎港に5月、国内クルーズ船が入る計画が明らかにされた。昨年2月を最後に、客を乗せた大型客船は途絶えている▲佐世保港からは3月末に出発し、金沢、舞鶴を回って佐世保に戻る。別の客船が入る予定もある。「第4波」が案じられるが、足元の感染対策は細やかに、復活への足掛かりを一つ一つ。積み重ねしかない▲「観光」とは中国の古典に由来し、もともとは「国の光を観(み)る」「国の威光を観察する」という意味らしい。人を迎え入れ、栄えてきた地方都市はいま、前途に光を観る日を待つ。(徹)


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