1971年3月大物カップルが相次いで誕生 猪木&倍賞美津子に石坂浩二&浅丘ルリ子!

【写真左】猪木はUNベルトを肩に倍賞美津子との婚約会見に臨んだ【写真】婚約会見でアツアツぶりを見せつける石坂浩二と浅丘ルリ子

【昭和~平成 スター列伝】1971年の3月下旬、芸能マスコミは大物カップルの相次ぐ婚約発表に大忙しだった。

現地時間3月26日、アントニオ猪木が米ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムで王者ジョン・トロスを破り、NWA認定ユナイテッド・ナショナル王座(UNヘビー級王座)を奪取。この大一番をリングサイドで心配そうに見守っていたのが、かねて交際していた女優の倍賞美津子だ。

試合後、猪木は倍賞との婚約を東スポに明かしている。「シングルのビッグタイトルを取ることによって一つのけじめというか、自分はこの道で一人前のチャンピオンになったという確証を持ちたかった。一人前のチャンピオンにならないで結婚でもないですからね。チャンピオンになったら結婚しようということは向こう(倍賞)にも常々言ってあった」

29日に揃って帰国した2人は、東京国際空港内で婚約会見に臨んだ。猪木が「ユナイテッド・ナショナルのタイトルを取れたのも、この試合にオレの一生の運命がかかっていると思って死に物狂いのファイトをしたからだ。これからのファイトは、オレ自身のためだけではない。第一にファンのため、第二に彼女のため、彼女とオレの生活のためだ」と話すと、倍賞は「料理は苦手だが、これからはアントンの好きな肉料理を勉強する」と言って幸せそうにほほ笑んだ。

実は、この会見の6日前にもビッグカップルが誕生していた。3月23日、石坂浩二と浅丘ルリ子が婚約を電撃発表したのだ。映画界の美男・美女の婚約に、日本中が驚いた。フジテレビ系「スター千一夜」での共演がなれそめだったそうで、石坂がプロポーズしたのは8日前の15日夜だった。

以前から「細かいところまでよく気のつく人。きっと思いやりのある人だわ」と感じていたという浅丘は21日夜、話し合いをかねて食事をした際、2人にとって芸能界の母親のような存在だという森光子に立ち会ってもらった。浅丘は「お母さん(森)は泣いて喜んでくださいました。本当に力強い助言も与えてくれました。私はこのとき決心して、一生この人についていかなければと思ったんです」と話し、石坂を見つめた。

無関係のように見える2組のカップルだが、猪木と石坂の間につながりがあるのが面白い。画家としても知られる石坂は猪木の関係者と知り合いだった縁で、76年の猪木―アリ戦のポスターを描いただけでなく、世紀の一戦に臨む猪木のガウンデザインを担当。背中に鳳凰が描かれた、晴れ舞台にふさわしい豪華なものだった。(敬称略)

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