第19回「環境・差別・権利」

異次元の常識 text by ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)

知ること、受け入れることを恐れないで欲しい

2021年3月18日に放送された番組『JAM THE WORLD』において、小泉進次郎環境大臣の「プラスチックの原料が石油だということが、意外と知られていない」という主旨の発言により、多くの国民から失笑を買った。

たしかに環境大臣であるいい歳をした権力を持つ政治家が、この事実を知らないことは大問題であり、笑われてしまうのは理解できる。そんな人間を大臣に指名した政権の責任も大きいだろう。

小泉進次郎と言えば「今のままではいけない。だからこそ日本は今のままではいけない」「気候変動のような大きな問題は、楽しくかっこよくセクシーであるべきだ」等々、大臣を務める政治家としては、お世辞にも褒められたものではない発言の多い小泉純一郎元総理の次男である。

決して小泉環境大臣を擁護するわけではないのだが、彼を笑って馬鹿にする人間たちは、環境問題意識を小泉進次郎よりも持っているのだろうか。

俺も笑ってしまう気持ちはわかるが、何も知らなかったと思われる環境大臣であったが、環境問題の重要なポイントに言及していることもある。

2021年3月13日の中国新聞のインタビューにおいて、瀬戸内海のゴミでスニーカーを製造したらどうか」という、プラスチックの環境汚染問題でのアップサイクルについての発言以外にも、2021年2月26日の記者会見では、鶏卵生産における劣悪な鶏のゲージ飼育環境を知り、反対とも思える意向を示している。鶏卵採取のための飼育問題は、アニマルライツ(動物の権利)にも通じる問題であり、環境大臣としては適切な対応を行なおうとしているのではないかと感じることもできなくはない。

俺だって環境問題について真剣に考え始めたのはここ何年かだ。可能な限り肉や魚、乳製品や蜂蜜を食べないようにし、革製品やウールなどの動物性製品を着なくなり、洗剤や髪の毛を立てるスプレーなども動物実験をしていない製品を選ぶようになってから、動物の権利と環境の密接な関係を知り、真剣に考えるようになった。

動物の権利を考え始めたことにより、他の差別問題とも密接な関係があることを知り、環境破壊や人種差別、性差別などの差別問題と、動物の権利問題は同じであることに気づき、可能な限り極力実践しながら勉強している最中である。

動物の権利を考えて尊重することでの環境問題・差別問題への理解は非常に納得できるものであり、それまでよりも充実した、気分よく楽しい生活が送れている。

よく受ける反論に「そうした考えを押し付けるな。勝手に自分で自由にやっていろ」という意見が多くあるが、たしかに押し付けられるのはみんな嫌だろう。それは俺だって同じであり、動物も同じだ。

動物たちは、人間の「美味しい」や「経済」という欲望による「人間のみの利益」を押し付けられ、家族を奪われ、生命を奪われている。

人間以外の動物は、他の種であるから殺しても拷問しても良いのだろうか?

それは人種が違う、肌の色が違うからと差別したり、性的マイノリティだからと差別することと、一体どこが違うのだろうか?

俺はそこに違いを感じることができない。どれも同じ差別である。

苦しみや痛みを人間と同じように感じ、様々な感情を人間に伝えることができる動物を「言葉を話さないから」「論理的思考ができないから」といったような理由で殺したり拷問しても良いとするならば、乳幼児や何らかの理由で脳に障がいを持ってしまった人はどうなってしまうんだ?

そんな理由で殺していいはずがない。ましてや、美味しいから、金になるからという、動物には全く利益のない一方的な理由で殺していいとは、俺には全く思うことができない。

他の反論では、植物だって生きているというものがある。それではあなたの目の前に、芝生でできている道と、犬や猫、ひよこでもいいが足の踏み場もないほどいる道があるとしよう。どちらを行くにしても、踏みつけなければ通れない道だ。そのどちらかの道を行かなければ死んでしまうとする。どちらを踏みながら通るかは明らかだ。

植物には、人間や動物と同じような苦痛を感じる中枢神経のようなものは発見されていない。その事実を認識しているからこそ、犬や猫を踏みつけるより、芝生を踏みつけて歩くのではないだろうか。

医学の問題があるが、ペニシリンを動物実験していたならば、それが医薬品として認可され、人間に使われることは決してなかったという。動物実験はほとんど何も証明せず、人間に関係づけるのはとても難しいという、アメリカ医師会のある代表の言葉も存在するようである(ピーター・シンガー著『動物の解放』より)。

農作物を育てる際の害獣駆除問題もある。動物たちが生きるために食料を求め、農作物を食べに来る。人間は生きるために必要な農作物を守るために戦う。これは動物という生き物として全く同じ、生きるための必要最低限の行為であり、自然な生命の営みであると思う。

様々な異論はあるだろう。しかし「殺すための理由」と「殺さないための理由」では、どちらが人道的で道徳的であるだろうか。

動物を殺さなくても、人間は生きていける。

動物の権利、環境、人種や性による差別の問題を考えあわせて調べて欲しい。そこにはあなたの知らなかったこともあるはずだ。それでもあなたは、何も知らなかった人間を馬鹿にして笑えるのか?

知らないのは恥ずかしいことではない。

知ること、受け入れることを恐れないで欲しい。

あなたの行動で、生命を救うことができる。

「This is the A.L.F.(A.L.F. / Animal Liberation Front 動物解放戦線)」CONFLICT

歌詞一部抜粋

君が動物を解放できたときだけ、我々は人間としての自由を得るだろう、最後の生体解剖者の刃物がヘシ折られるとき、それは平和へ一歩前進したことになるのだ

動物のための社会運動における直接行動は緻密で強力だ、そして最終ゴールは遠くない

動物愛護者、破壊者、フーリガン、偏屈者、それぞれのレッテルの違い、わかるか?

彼らは言う、我々は人間を気にしない

我々は言う、すべての知覚し得る存在、動物でも人間でも、痛み、拷問や苦しみから自由に生存する権利を目指していると

彼らは言う、「我々は同じ言葉を話す人間どうしだから、自分たちのほうが大事だ」と

人間の苦しみが、動物のそれよりも大きいとか小さいとか言うことがあるだろうか?

「人間 VS 動物の権利」は、「黒人 VS 白人」や「ナチス VS ユダヤ人」と同じぐらい偏見に満ちたものであり、私たちの自由への侮辱なのだ

生体解剖は動物と同じくらい人権も侵害するのだ

我々は彼らの実験のおかげで薬の山の上に築かれた科学の世界にいる

薬物は利益のために設計され、薬物は症状を抑え込むために製造される

人間の自由、動物の権利 それは1体の闘争だ!

動物虐待を止めれば人間への虐待もまたすぐに終わるという考えだ

≪「目には目を」では世界が盲目になるだけだ≫

弱者を守ることから始めよう、無防備な者、動物たち、病気や障害を持つ者たちを

思いやりと感情は、我々のもっとも重要な、安全への価値観なのだ

我々がそれを失ったら、その後の人生そのものの活力を失うのだ!

CRASSが掲げた思想や多様な音楽性とDischargeのスピード感を融合させたUKきってのアナーコ・ハードコア・バンド、CONFLICTは1981年結成。「This is the A.L.F.」は1986年発表の3rdアルバム『THE UNGOVERNABLE FORCE』に収録。メロディアスでいて攻撃的なハードコアサウンド、一曲一曲にぎっしりと詰まったポリティカルなメッセージ、そのスタイルが完成された傑作だ。

【ISHIYA プロフィール】

ジャパニーズ・ハードコアパンク・バンド、DEATH SIDE / FORWARDのボーカリスト。35年以上のバンド活動歴と、10代から社会をドロップアウトした視点での執筆を行なうフリーライター。

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