【伊藤鉦三連載コラム】山田監督の構想を大きく狂わせたミラー契約ほご事件

中日との契約をほごにしたミラーはレッドソックスへ。左は松井秀喜

【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(17)】2001年12月、まさかと思うようなことが起こりました。沙知代夫人が脱税問題で逮捕されたことを受けて阪神・野村監督が辞任。10月にドラゴンズの監督を退任したばかりの星野さんがタイガースの監督に就任したのです。これにはドラゴンズの選手もみんなビックリでしたが、誰よりも困惑したのが山田監督でしょう。後方から支えてくれるはずだった星野さんがいきなりライバルチームの指揮官になってしまったのですから。

しかも星野監督は中日から島野二軍監督を引き抜いて阪神に連れていってしまったのです。島野さんは選手からの信頼も厚くチームの誰からも慕われている存在でした。山田監督も島野さんを頼りにしていただけにショックは大きかったと思います。

それでも山田監督の1年目はAクラスの3位。2年目のV奪回のために中日は大型補強を行います。大リーグ・マーリンズの強打者、ケビン・ミラーの獲得に成功したのです。メジャーで2年連続3割の大物助っ人の中日入りは大きなニュースとなりましたが、ここでまたまさかの事態が起こります。

何とレッドソックスがミラー獲得の意向を表明。名門球団からのラブコールを受けてミラーは中日入りをほごにし、ニューヨークで児玉渉外部長と会う約束もキャンセル。代理人を通じて一方的に日本行きの意思がないことを伝えてきたのです。「会うと言って会わない。時間を指定しながら来ない。これでは引き下がれない。頭にきてる。ルールを守らないのは違うんじゃないか」と山田監督もカンカンでしたが中日は結局、ミラーとの契約を解除。山田監督の構想はまたも大きく狂ってしまいます。

この年は開幕から阪神が独走し、何と7月8日にはマジック「49」が点灯。18年ぶりの優勝目指して快進撃を続け、星野タイガースフィーバーが巻き起こりました。中日もAクラス争いをしていたのですが、球団は9月9日の広島戦前に突然、山田監督の解任を発表。佐々木ヘッドコーチが監督代行を務めることになったのです。

優勝は無理でもAクラスは十分狙える位置だったので私も山田監督の解任には驚きました。中日OBではなく、球団とのつながりがそれほど深くなかったことがシーズン中での解任につながったのだと思います。

わずか2年弱でしたが山田監督はドラゴンズを強くしようといろいろなことをやりました。横浜からFAで谷繁を獲得し、内野守備に難のあった福留を外野へコンバートさせ、荒木と井端を二遊間で使っていきました。後のドラゴンズ黄金時代の礎を築いたのは間違いなく山田監督だったと思います。もし星野監督が阪神に行かず、名古屋で山田監督のバックアップをしていれば…。きっと結果は違ったものになったはずだと今でも私は思っています。

星野監督率いる阪神のリーグ優勝で盛り上がったこのシーズンでしたが、中日は翌年のV奪回をあの男に託します。1993年オフにFAで中日から巨人に移籍した落合博満が監督となって10年ぶりにドラゴンズに帰ってきたのです。

☆いとう・しょうぞう 1945年10月15日生まれ。愛知県出身。享栄商業(現享栄高校)でエースとして活躍し、63年春の選抜大会に出場。社会人・日通浦和で4年間プレーした後、日本鍼灸理療専門学校に入学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。86年に中日ドラゴンズのトレーナーとなり、星野、高木、山田、落合政権下でトレーナーを務める。2005年から昇竜館の副館長を務め、20年に退職。中日ナイン、OBからの信頼も厚いドラゴンズの生き字引的存在。

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