【伊藤鉦三連載コラム】落合新監督が宣言「オレは暴力は絶対に認めない」

落合新監督就任会見。左から白井オーナー、落合監督、西川球団社長

【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(18)】2003年10月、ドラゴンズは落合博満新監督の就任を発表します。中日パレスで行われた就任会見で落合監督は「セ・リーグを制して日本一になる。この目標はぶれない」と宣言しました。

「このチームの監督は今は野手出身じゃないとダメなんだろう。投手の信頼を得るためには点を取らないといけない」「相当きついキャンプになる。選手には泣いてもらいます」。オレ流節全開で意気込みを語った落合監督ですが、特にアピールしたのが「潜在能力を持った人がたくさんいる。その力を10%底上げできればFAやトレードに頼らなくても優勝争いはできる」ということでした。この言葉通り、オレ流1年目の中日は巨人を退団した川相を獲得したぐらいでほとんど補強はしませんでした。

沖縄で行われた秋季キャンプからさっそく“オレ流”が炸裂します。6勤1休で朝9時半から夕方6時までと練習スケジュールはビッシリでした。その一方で落合監督は「グラウンドに出れば選手はみんな一人前なんだ。そういう扱いをしてくれ」とコーチにも要請。「(コーチの話を聞く際に)コーチが立って選手が座っていてもいい。そんなことに目くじらは立てません」とも言っていたそうです。今では当たり前のことですが、選手は練習中もペットボトル持参で喉が渇けばいつでも水を飲んでOKとなりました。

実は当初、ショートのレギュラーだった井端弘和は秋季キャンプには参加せず、右ヒジのクリーニング手術を行う予定でした。しかし落合監督の野球が一体どういうものなのか体感したかったのでしょうね。自らの意思で手術を取りやめ、秋季キャンプに参加。ハードなメニューをすべてこなしていました。落合監督もそんな姿勢にほれ込んだみたいでとにかく井端のことを絶賛していましたね。

驚かされたのが落合監督は「春のキャンプ初日(2月1日)に紅白戦を行う」と宣言したことです。通常、春季キャンプの序盤は体づくりが中心で実戦形式に入るのは中盤からですが、初日にいきなり紅白戦。しかも主力選手も免除なしというのですから前代未聞のことです。これにはみんなビックリでしたが、キャンプ初日に紅白戦があるため選手たちはオフの間も手を抜くことができません。2月1日に向けてしっかり調整していましたから初日の紅白戦効果は抜群でした。

今でもよく覚えているのが04年1月31日のことです。翌日からスタートする春季キャンプを前に沖縄の宿舎で行われたミーティングで落合監督はコーチ、全選手、そして私も含めたスタッフの前でこう言ったのです。「オレは暴力は絶対に認めない。たとえコーチでも選手に暴力をふるったらユニホームを脱いでもらう」

落合監督は高校時代、野球部に所属しながら何回も入退部を繰り返し、東洋大野球部も半年で退部。大学も中退しています。だからこそ自分が理不尽と感じてきたこと、体罰や上下関係、古い因習などをすべて排除していくつもりだったのでしょう。そしてこの04年からドラゴンズの黄金時代が始まっていくのです。

☆いとう・しょうぞう 1945年10月15日生まれ。愛知県出身。享栄商業(現享栄高校)でエースとして活躍し、63年春の選抜大会に出場。社会人・日通浦和で4年間プレーした後、日本鍼灸理療専門学校に入学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。86年に中日ドラゴンズのトレーナーとなり、星野、高木、山田、落合政権下でトレーナーを務める。2007年から昇竜館の副館長を務め、20年に退職。中日ナイン、OBからの信頼も厚いドラゴンズの生き字引的存在。

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