「ありがとうの言葉しかない」長崎に移住した被災者 周囲の支えで生活再建 熊本地震5年 長崎から

アルバムの写真を眺め、熊本での暮らしを懐かしむ永末子末さん=長崎市内

 熊本地震から14日で5年。長崎県内の公営住宅に身を寄せた被災者は2019年7月までに無償入居の期限を迎え、約30人が通常入居で残ることを選択した。30年以上暮らした熊本市内の自宅を失った永末子末(ながすえこまつ)さん(87)は、生まれ育った長崎市への永住を決断した。「第二の古里」熊本への愛着は消えないが、コロナ禍で“帰郷”もままならない。周囲の支えに感謝しながら、旧友との再会を心待ちにしている。
 4月10日、春の日差しが降り注ぐ長崎市内の県営住宅。子末さんは古いアルバムをめくり、熊本市内の自宅前で撮った家族写真に目を細めた。思い出が次々と浮かぶ。「(熊本での生活が)長かですから」。涙ぐみ、言葉を詰まらせた。
 子末さんは、長崎市内の大学で教壇に立っていた嘉孝さん(86)と結婚。大学を移ることになり、1985年ごろ熊本市内に新居を建て、生活をスタートさせた。趣味の卓球仲間もでき、「ずっと暮らしていく」ため2016年初めには自宅の外観をリフォームした。
 その矢先だった。4月14日夜、激しい揺れで目を覚ました。棚にあった本が床に散乱。屋根瓦が落ちて車のガラスが割れていた。片付けをしながら自宅にいたが16日未明、再び激しい揺れに襲われ、毛布をかぶって外に飛び出し、知人の車で一夜を明かした。
 夕方、長崎市内にいる次女の実保さん(56)夫婦が車で迎えに訪れ、佐賀県の親族宅へ。精神的にも疲弊した嘉孝さんは持病が悪化し、急きょ入院した。その間に実保さんらが長崎県に掛け合い、退院を待って5月に今の県営住宅に入った。
 熊本市内の自宅は1階の天井が崩れ落ち、査定結果は「全壊」。追い打ちをかけるように子末さんの両脚に動脈瘤(りゅう)が見つかり、手術することになった。嘉孝さんは介護事業所での生活を余儀なくされた。
 嘉孝さんは80歳を過ぎて自宅がなくなるのがショックで「建て直したい」と切望した。だが高齢の2人にとって熊本での生活再建はハードルが高く、選択の余地はなかった。自宅は公費で解体、土地も手放した。
 苦境の中であっても、実保さん夫婦がそばにいてくれて、「唯一の楽しみ」と言う週1回の高齢者サロンのおかげで、孤立することなく支えられ、生活を立て直すことができた。自宅の片付けは長崎の災害ボランティアがトラックで熊本まで出向いてくれた。子末さんは「ありがとうの言葉しかない」と語る。
 新型コロナウイルスの感染拡大もあり、熊本には2年ほど戻っていない。子末さんは古くからの友人と電話でこう話すという。「体が動くうちに会いたいね。コロナが落ち着いたらね」

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