【伊藤鉦三連載コラム】オレ流1年目 川上と岩瀬が引っ張り5年ぶり6度目の優勝

マウンド上でほえる川上

【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(19)】落合監督1年目のシーズンとなった2004年は開幕戦から“オレ流”が炸裂します。何と開幕投手は00年オフにFAで中日に移籍してから右肩痛のため3年間、一軍登板のなかった川崎だったのです。これには誰もがビックリでしたが落合監督らしい大胆な起用。川崎は2回に打ち込まれて途中降板しましたが、チームは逆転で勝利を収めオレ流ドラゴンズは幸先いいスタートを切りました。

この年のドラゴンズは鉄壁の守りが際立っていました。福留こそ死球による骨折でシーズン終盤に離脱してしまいましたが、それでも川上(投手)、渡辺(一塁)、井端(遊撃)、荒木(二塁)、アレックス(外野)、英智(外野)の6人がゴールデン・グラブ賞を受賞。落合監督時代は間違いなくドラゴンズ史上最高の守備陣だったと言えるでしょう。

そして投手陣を引っ張ったのがエース・川上と落合監督が守護神を任せた岩瀬です。前年わずか4勝に終わった川上でしたがこの年はフル回転で17勝。岩瀬も序盤こそ故障で出遅れましたが、22セーブを挙げる活躍でゲームを締めてくれました。

1998年のルーキーイヤーから投手陣の柱として活躍してきた川上ですが、まさに野球小僧という感じの男でした。毎日ボールをネットに投げてフォームや球筋をチェックしていましたし、常にボールを握って感触を確かめてましたからね。川上の投げる球というのは本物の投手のボールでした。伸びがあってラインができる。しかもボールに力があります。マウンド上の気迫もすごくてどんな打者が相手でも逃げないんです。入団当初から右肩に不安を抱えていましたからケアにも細心の注意を払っていました。4つぐらいの病院に行って検査や医学療法など行っていましたね。人間的にも素晴らしく敵がいない。将来はいい指導者になると思います。

一方、岩瀬ですが最初に見たときは普通の投手だと思いました。体の方も大胸筋がすごいとか前腕二頭筋がすごいとかもなく普通。まさか最多登板(1002試合)、最多セーブ数(407セーブ)の日本プロ野球最高記録を樹立する投手になるとは…。

彼は野球に対してとにかく真面目でした。そして打たれても点を与えない投球術を持っている。頭がいいんだと思います。それに変な邪念がない。川上と同じく岩瀬のことを悪く言う人は誰もいない。この川上と岩瀬が引っ張っていった投手陣はチーム防御率トップで快進撃を続けます。そして10月1日、ナゴヤドームでの広島戦で中日はリーグ優勝を決めたのです。

「現有戦力の10%底上げで優勝争いできる」。落合監督はこう言っていましたが、正直なところみんな半信半疑でした。ダイエーから小久保、近鉄からタフィ・ローズを獲得し、前年にはヤクルトからペタジーニも補強していた巨人と比べると打線の迫力は見劣りしていたからです。しかし落合監督は有言実行で見事にドラゴンズを5年ぶり6度目のVに導きました。

「選手をほめてやってください」。5度宙を舞った後、優勝監督インタビューでそう語った落合監督をドーム内で見ていた私は「たいしたもんだ」と心の中でうなっていましたが、きっと中日関係者はみんな同じ気持ちだったと思います。

☆いとう・しょうぞう 1945年10月15日生まれ。愛知県出身。享栄商業(現享栄高校)でエースとして活躍し、63年春の選抜大会に出場。社会人・日通浦和で4年間プレーした後、日本鍼灸理療専門学校に入学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。86年に中日ドラゴンズのトレーナーとなり、星野、高木、山田、落合政権下でトレーナーを務める。2007年から昇竜館の副館長を務め、20年に退職。中日ナイン、OBからの信頼も厚いドラゴンズの生き字引的存在。

© 株式会社東京スポーツ新聞社