『数学する身体』から5年! 生命の本質に迫る、若き独立研究者の画期的論考・森田真生『計算する生命』、4月15日発売!

古代人が粘土や指を使って数を数えた時代から始まり、 デカルトの代数的計算、 現代のコンピュータまで、 計算は大きく姿を変えてきた。 手にするスマホは、 その歴史が濃縮された存在と言えるかもしれない。 計算はいつでも、 人間の認識を拡張する営みだった。 不確かな現実のなかで、 確かな認識を得たいという情熱が、 計算の歴史を駆動してきたのだ。

「人間が機械を模倣する」計算が加速し続ける現代にあっても、 人は、 記号を操って結果を生み出すだけの機械ではない。 思考し、 意味を考え、 現実を新たに編み直し続ける「計算する生命」なのだ。 数学を土台に独立で研究を重ねる著者が迫る、 機械と生命の対立を越え、 計算との新たな関係が形作る未来とは。

読者を圧倒する壮大な計算史は、 教科書では学べない。 そして、 歴史を踏まえて、 数学や言語から、 今日的な環境の気候変動まで論じる姿勢は、 他に追随を許さない内容となっている。 <装幀:菊地信義>。

著者コメント

今回の本は、 『数学する身体』の探究を引き継ぎ、 チューリングの「人工知能」に先立つフレーゲの「人工言語」の生成過程を一度きちんと考えてみようというところから執筆をはじめました。 メインの舞台は19世紀のゲッティンゲンですが、 フレーゲに始まる「言語」についての原理的な考察は、 やがて不可避的に生命の探究へとつながっていきます。 そのため、 本書後半では、 ウィトゲンシュタインやブルックスなどの研究にも触れながら、 計算と生命が雑(まざ)り合う歴史を描いていきます。 前作『数学する身体』(2015)が、 <心と身体と数学>というキーワードを中心に展開したとすれば、 今回は、 心を形づくる「言語」と、 身体を突き動かす「生命」、 そして、 数学の発展を駆動してきた「計算」という営みへと考察の重心が移行しています。 我ながらかなり大きな目標を設定してしまったので、 課題の大きさに何度も押しつぶされそうになりましたが、 書きながらいろいろなことを考え、 多くの発見がありました。 書くことで見えてきた新たな風景を、 読者と分かち合えることを願っています。

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