メジャー最後はリベラ 各球団最後の背番号「42」は誰?

現地時間4月15日、メジャーリーグは今年もジャッキー・ロビンソン・デーを迎えた。ジャッキー・ロビンソンのメジャーデビューから50年後、1997年4月15日にロビンソンの背番号「42」は全球団共通の永久欠番となったが、その時点で背番号「42」をつけていた選手に限り、それ以降も「42」の使用が認められた。そして、2013年限りでヤンキースのマリアーノ・リベラが引退したことにより、背番号「42」の現役選手はゼロに。ここでは各球団で最後に背番号「42」をつけた選手を紹介する。

オリオールズ:レニー・ウェブスター(1997~99年)
正捕手クリス・ホイルズの控えとして1998年には自己最多の108試合に出場。メジャー12年間で5球団に在籍したが、背番号「42」をつけたのはオリオールズ時代だけだった。

レッドソックス:モー・ボーン(1991~98年)
打点王のタイトルを獲得した1995年にMVPを受賞した強打者。エンゼルス、メッツでも背番号「42」をつけた。「42」を背負った最後のアフリカ系アメリカ人選手でもある。

ヤンキース:マリアーノ・リベラ(1995~2013年)
ロビンソンとともに背番号「42」の代名詞と言える偉大なクローザー。歴代最多の652セーブを記録し、2019年には史上唯一となる満票でのアメリカ野球殿堂入りを果たした。

レイズ:該当者なし

ブルージェイズ:ゼイビアー・ヘルナンデス(1989年)
メジャーデビューした1989年に1シーズンだけ背番号「42」をつけたリリーフ右腕。同年オフにルール5ドラフトでアストロズへ移籍。それ以降「42」を背負うことはなかった。

ホワイトソックス:スコット・ラフコーン(1996年)
1991年ドラフト全体25位で指名された右腕。マイナーでは好成績を残したが、メジャーでは5年間で通算0勝8敗に終わった。メジャー4年目の1996年に背番号「42」をつけた。

インディアンス:マイケル・ジャクソン(1997~99年)
インディアンスとツインズの2球団で最後の背番号「42」となったリリーフ右腕。1998年は69試合に登板して40セーブ、防御率1.55の好成績。メジャー17年間で1005試合に登板した。

タイガース:ホゼ・リマ(2001~02年)
メジャー通算89勝の先発右腕。最初のタイガース在籍時(1994~96年)は背番号「32」だったが、アストロズ移籍後に「42」をつけ、タイガース復帰後も引き続き「42」を背負った。

ロイヤルズ:トム・グッドウィン(1995~97年)
メジャー通算369盗塁を記録した俊足の外野手。ロイヤルズ移籍2年目の1995年から1997年7月にディーン・パーマーとのトレードでレンジャーズへ移籍するまで背番号「42」をつけた。

ツインズ:マイケル・ジャクソン(2002年)
インディアンスでプレーしたあと、アストロズに所属した2001年は背番号「38」をつけていたが、ツインズへ移籍した2002年は再び「42」に。58試合に登板して防御率3.27を記録した。

アストロズ:ホゼ・リマ(1997~2001年)
1996年12月にタイガースからトレードで加入し、1998年に16勝、1999年には自己最多の21勝をマーク。しかし、2000年開場の新球場とは致命的に相性が悪く、同年は48本塁打を浴びた。

エンゼルス:モー・ボーン(1999~2000年)
レッドソックスからFAとなり、6年8000万ドルの大型契約で加入。2年連続で30本塁打、100打点をクリアしたが、2001年は故障で全休し、同年12月にメッツへトレードされた。

アスレチックス:バディ・グルーム(1996~97年)
メジャー生活14年のリリーフ左腕。タイガース時代の1992~95年にも背番号「42」をつけた。アスレチックスでプレーした4年間(1996~99年)はいずれも70試合以上に登板した。

マリナーズ:ブッチ・ハスキー(1999年)
2度のシーズン20本塁打を記録した外野手。1995~98年にメッツで背番号「42」をつけていたため、マリナーズへトレードされた1999年も引き続き「42」を背負うことができた。

レンジャーズ:マーク・サグモエン(1997年)
1997年にメジャーで1年だけプレーした外野手兼一塁手。奇しくも1997年4月15日にメジャーデビューした。出場した21試合で放った唯一の本塁打はランニング本塁打だった。

ブレーブス:アーマンド・レイノーソ(1991~92年)
メジャー12年間で3度の2ケタ勝利を含む68勝を挙げた右腕。デビューしたブレーブスで2年間、球団拡張ドラフトで移籍したロッキーズで4年間、背番号「42」をつけた。

マーリンズ:デニス・クック(1997年)
メジャー15年間で665試合に登板したリリーフ左腕。レンジャーズ時代の1995~96年とマーリンズでプレーした1997年に背番号「42」をつけ、マーリンズの世界一に貢献した。

メッツ:モー・ボーン(2002~03年)
レッドソックス、エンゼルス、メッツと12年間のメジャー生活で一貫して背番号「42」をつけた。2002年は26本塁打を放ったが、膝の故障が悪化して翌年が現役最後のシーズンとなった。

フィリーズ:トビー・ボーランド(1994~96年)
メジャーで9年間プレーしたリリーフ右腕。メジャーデビューした1994年から3年間、背番号「42」をつけた。1995年に50試合、1996年には自己最多の69試合に登板した。

ナショナルズ(エクスポズ):カーク・リーター(1993~96年)
ジャイアンツ移籍後、1997~2003年に7年連続2ケタ勝利をマークした技巧派左腕。1993年のメジャーデビューからジャイアンツ移籍後の1997年途中まで背番号「42」をつけた。

カブス:デーブ・スミス(1991~92年)
アストロズ時代にクローザーとして活躍した右腕。カブスでは2年間で17セーブ、防御率4.94に終わり、引退した。カブスでは1992年のスミスを最後に誰も背番号「42」をつけなかった。

レッズ:ロジャー・サルケルド(1996年)
マリナーズで2年間、レッズで1年間だけプレーした先発右腕。1995年途中にトレードでマリナーズからレッズへ移籍し、1996年は8勝5敗、防御率5.20をマークした。

ブリュワーズ:スコット・カール(1995~99年)
1996年から4年連続2ケタ勝利をマークした先発左腕。1995年のメジャーデビューから背番号「42」をつけ、1999年12月にロッキーズへトレードされるまで「42」を背負い続けた。

パイレーツ:ジェイソン・シュミット(1996~97年)
ジャイアンツ移籍後にリーグ有数の先発投手へと成長を遂げた右腕。パイレーツに加入した1996年途中から背番号「42」をつけていたが、永久欠番化により「22」に変更した。

カージナルス:ホゼ・オリーバ(1995年)
自慢の長打力をメジャーで発揮できなかった三塁手。1996年はAAA級で31本塁打、1997年はCPBLの兄弟エレファンツで25本塁打を放ったが、1997年12月に交通事故により死亡した。

ダイヤモンドバックス:該当者なし

ロッキーズ:アーマンド・レイノーソ(1993~96年)
球団創設時の球団拡張ドラフトで加入し、1年目に自己最多の12勝をマーク。在籍4年間で30勝を挙げた。メッツ、ダイヤモンドバックスでは背番号「42」をつけなかった。

ドジャース:レイ・ラム(1969年)
ロビンソンの背番号「42」は1972年に永久欠番となったが、ドジャースで「42」を背負ったのはロビンソンが最後ではない。1969年にデビューしたラムが1年だけ「42」を背負った。

パドレス:ペドロ・マルティネス(1993~94年)
殿堂入りの名投手ではなく、メジャー5年間で通算122試合に登板したリリーフ左腕。デビューした1993年に32試合で防御率2.43、翌年は48試合に登板して防御率2.90をマークした。

ジャイアンツ:カーク・リーター(1996~97年)
ジャイアンツ在籍10シーズンで記録した105勝はマディソン・バムガーナーに抜かれるまで左腕によるサンフランシスコ移転後の球団記録だった。2000年には新球場の初戦で先発した。

© MLB Advanced Media, LP.