師弟対談! 笑福亭鶴光からの金言「どん底まで落ちなアカン」「その時に後押ししてくれる人がいる」

笑福亭鶴光(前)と笑福亭羽光

笑福亭鶴光(73)と弟子の羽光(48)の師弟対談が実現した。1970年代「オールナイトニッポン」のパーソナリティーとして人気を博し、深夜のAMラジオの黄金期を支えた鶴光。そんな、しゃべりの達人にも人知れず挫折があった――。

――ライバルはいるんですか

羽光 最初に売れたんが桂宮治なんですよ。二つ目になって最初にNHK新人賞獲った。すごく仕事もいっぱいあったし、注目された。「ええなぁ、NHK獲ったらこうなるんや」みたいな幻想にとらわれてしまった。それを獲るってことに執着してしまった二つ目人生を送ったと思うんです。それよりも自分の落語を見つけるのが大切なんですけど。

鶴光 スっと行ったらアカンで。若いころに売れるか、年いって売れるか。年いって売れるほど化ける。そういう人の方がものすごいパワーが出てくる。若い時に走ってしまうと息切れしよんねん、あれ。

羽光 それは松鶴師匠とかも。

鶴光 うちの師匠とかがそうやんな。年いっててからな。年いっていくことはそれまでコツコツとやってる試金石がいるわけ。確かに勢いで笑わすことはできる。俺もそうやったから分かんねんけど。だからテレビもラジオも出れたんやけどね。でも今なったらね、その時もう息切れしてんねん。それを取り戻すのにはね、40から落語芸術協会入れてもらったやろ。そっからやっぱり20年かかったで。自分を取り戻すのに。迷うねや。「俺はアカン、落語下手やねん。もうライバルも何も一番下手やねん」と思った時に違う光が見えてくんねん。その代わり、どん底まで落ちなアカンで。やっぱその時に後押ししてくれる人がいる。宮岡博英さんみたいにね。「らくだ」なんか死ぬまでできないと思ってた。うちの師匠の「らくだ」見てるから。でも「やんなはれと。失敗したところで松鶴は死んでおらへんねんから。やってアカンかったらアカンでよろしいやんか。やってみなはれ」と言われた。で、やれば「そうか」自分が悩むほどのものでもなかったんかと。

――同じ時期にオールナイトニッポンのパーソナリティーをやっていたビートたけしさんと交流はあったんですか

鶴光 よそとのつながりはなかったね。噺家の後輩と飲んだり食うたりするのが好きなんですよ。高貴なお店でエエもん食うより、居酒屋でみんなにおごって「ごちそうさんです」言われた方が生きたカネつこうた気になる。噺家集まって出てくる話は女と競馬。そんな話しかせえへんねや。これがまたおもろいねん。
羽光 芸論はしないんですか?

鶴光 芸論はしたらアカンで。芸論は絶対ケンカなるで。芸論って結局、自分が余裕がないからぶつけにいくんやろうな。自分にひとつの信念持ってりゃ、噺なんて個々のもんやもん。飲んだ時はくだらん話が一番やな。俺が下ネタやりだしたのはね、下ネタは人を傷つけない。不愉快にはさすか分からんけど傷はつけない。芸論にしたって悪口も相手も傷つけるし自分も傷ついてる。言った後に「俺はなんと器の狭い人間なんだと」と自分を批判してしまう。不快にしても構わない、でも傷つけたらいかん。あと「味方は作らんでもええけど敵だけは作るな」と師匠に言われた。

――お二人で話すことってあるんですか

鶴光 ないない。しゃべんないもん、弟子に。だってそれは自分で会得せんとね。俺のコピーになっちゃダメ。個性も違うし、人格も違うし。

羽光 ありがとうございました。ぼくだけに語りかけてくれるラジオのようで、楽しかったです。

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