戦後の大惨事、追悼今も 満員電車炎上198人死傷 「桜木町事故」70年 教訓に車両難燃化も

198人が死傷した桜木町事故の発生当時の現場(1951年4月=神奈川新聞社所蔵)

 国鉄(現JR)桜木町駅付近で電車が炎上し198人が死傷した「桜木町事故」から、24日で70年となった。戦時中に導入された車両は安全面で構造的問題を抱え、被害が拡大。戦後復興期に発生した大惨事を教訓に安全対策が講じられたが、心を痛めて今も犠牲者を追悼する人たちがいる。

 「もう70年がたちますか」。現場近くの宝光寺住職、藤田恭爾さん(76)は事故の記憶をたぐった。

 当時6歳。「鳴り響くサイレンや煙を上げる車両に驚いた」。遺体が運ばれる途中、ムシロの隙間から見えた犠牲者の姿が目に焼き付いている。「苦しかったでしょう。悔しかったでしょう」。当時を振り返り、犠牲者を悼んだ。

 事故は1951年4月24日午後1時40分ごろ発生した。作業ミスで切断された架線が垂れ下がっていたところに、5両編成の下り電車が進入。先頭車両のパンタグラフの一部が架線に絡まり、屋根部分で発生した火花が車体に燃え広がった。先頭車両を全焼、2両目も半焼し、炎上する車内に閉じ込められた106人が死亡、92人が負傷した。

 JR東日本横浜支社や神奈川新聞の報道などによると、車両の屋根や客室内の大部分に木材を多用し、燃えやすい構造だった。窓は中段が固定された3段式で脱出は不可能。車端部の扉は内開きで、客室内は満員だったため開けられない状態だった。非常用ドアコックは設置されていたが表示がなかった。

 事故後、改善策が取られ、車体の難燃性化、窓の改良、車両間を往来できる設備整備、ドアコックの表示などが施された。

 總持寺(横浜市鶴見区)には犠牲者の冥福を祈る「桜木観世音菩薩(ぼさつ)」像と「国鉄桜木町事故供養塔」が建立され、修行僧が毎日像の前で読経する。

 JRは毎年事故発生日に関係者が献花しており、今年は23日に遺族2人を含め計17人が参列した。同支社は「事故を風化させることなく、安心してご利用いただけるよう努めていく」としている。

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