【動画】橋物語・水無川導流堤の鉄橋群 噴火災害乗り越え生活支える

水無川導流堤の鉄橋群

 空の鮮やかな青色をバックに、雲仙・普賢岳の噴火活動で形成された溶岩ドーム「平成新山」を望む。
火山活動が生み出したダイナミックな造形と、アーチ橋やトラス橋など7つの人工物との対比が映える。
噴火災害後に築かれた島原市安中地区の水無川導流堤にある、水無川1号砂防ダムから有明海に至る河口までの延長約2.5キロに架かる鉄橋群は、噴火災害からの復興を象徴するかのように、市民の生活を支えている。

 1990年11月から96年6月まで約5年半に及び、44人の犠牲者を出した普賢岳噴火災害。
水無川流域の安中地区と南島原市深江町は甚大な被害を受けた。
両地域をつなぐ生活道路や橋は火砕流、土石流で壊滅。
行き来する住民、農業者は不便な生活を強いられた。

 「安中と深江は一体の生活圏。橋があるのとないのでは全然違う」。
同市札の元町の農業、佐藤幸三さん(56)は被害を避け、川を挟む畑までの車で5分の距離を遠回り。
1時間かけて通うなど分断されていた約30年前を振り返り、再び便利になった今を語る。

 最も海に近い「島原深江道路」(4.6キロ)の高架橋を含め、計7つの鉄橋などが導流堤をまたぐ。
主に国の直轄事業として架設され、99年3月に開通した河口から1.9キロ地点にあるアーチ型の「水無大橋」(国道57号)が全長850メートルで最大。
事業費約47億円で完成に3年を費やした。

 最上流部にある全長204メートルの「吉祥白天橋」(市道)は、同国道より山側にかつてあった農道などの生活道路を集約し再建する形で2008年開通。
それまで深江側の畑に向かう農業者らは、同国道まで下り交通量の多い水無大橋を渡らざるを得なくなっていたが、トラクターにバスが衝突する事故が発生。
これを機に、「農家が安心して走れる道を」との機運が地元で高まり実現。
現在は軽トラックやトラクターが行き交い、住民の生活に根付く。

 唯一のトラス橋「安新大橋」は、暮らしの動脈を守るために噴火災害に立ち向かった苦闘の跡だ。
同橋が位置していた島原鉄道南線(35.3キロ)は08年に廃止されたものの、一部区間が長期運休していたが復活を遂げ、被災地を駆け抜ける島鉄の姿が被災住民を励ました。
サイクリングロードとして活用する動きも近年見られ、車輪の音が途絶えた今も復活の時を待つ。

 災害当時、ずたずたにされた鉄路の復旧に当たった島鉄の保線担当、宮﨑新悟さん(57)は「地域の足を守るための使命感が強かった。
もう一度活用される日を待ち望む」と観光資源としての再利用に期待する。

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