オリックス・能見が記録連発 遅咲きの「9回守護神」秘話

能見

【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】コーチ兼任ベテラン左腕が新天地で躍動している。8日のロッテ戦(ZOZOマリン)でオリックス・能見篤史投手(41)が史上57人目となる1500奪三振を達成。この試合で今季2セーブ目も記録しており、ヒギンスの故障離脱などで守護神不在のチームをもり立てている。

この年齢になると何かするたびに記録と直結する。2日のソフトバンク戦(京セラ)では、1点リードの9回に登板し移籍後初セーブ。昨季の11月には阪神で41歳5か月でセーブを挙げており、40代で2球団にわたってセーブを挙げた史上初の投手にもなった。

実績はあるといえども、9回に登板し簡単にセーブを挙げられるほどプロは甘くはない。経験、実績と申し分ない能見でも重圧は半端ないはずだ。実際、能見自身「自分も9回は(多くは)経験してないので」と口に出している。ただ、この発言のとき、能見はもしかしたら「ツッコミ」を待っていたかもしれない。「いやいや能見さん。あなた9回、守護神、経験してますやん」と。

さかのぼること13年。入団4年目、2008年の能見はチームのクローザーを務めていた。29試合に登板し5勝1敗11セーブ、防御率0・83。申し分ない成績だ。ただ、これはウエスタン・リーグでの数字。一軍では11試合に登板し、自身初の未勝利のシーズンとなっていた。

社会人出身、プロ入りの遅かった能見にとって08年は29歳のシーズン。後がない気持ちで登板に臨んでいた。ファームでは圧倒的な数字を残すものの、一軍では打ち込まれる。どうすればいいのか…。精神的にも追い込まれた状態だった。

もう開き直るしかない。気負って、力み倒して打たれるなら「よそ行き」のピッチングをやめよう。「どうせ打たれるなら、ファームで投げてる通りにやってみよう」。この試みが、その後の能見をつくった。

堂々と上から見下ろすように、ゆったりしたフォームでキレのあるボールを繰り出す。今では定番の能見スタイル。これを一軍でも貫く勇気を持つまで時間がかかった。

当時、阪神の二軍投手コーチでありオリックス、阪神の先輩に当たる星野伸之氏はこう話していた。

「ファームで投げているように、そのスタイルをそのまま一軍でも出せばいい。いいところを見せようとして力むから、打者からしたらタイミングが取りやすくなるんだよ」

コツをつかめば早かった。翌09年は13勝を挙げブレーク。その後の能見の活躍は皆が知るところだ。30歳になる5年目のシーズンに花開いた。遅咲きだったが、今では104勝と4セーブを挙げている。

9回のマウンドは慣れない舞台かもしれない。だが、能見の基礎をつくったのも9回のマウンドだ。野球人生の集大成の時期。新天地で守護神というポジションに戻ってきたのは偶然ではないのかもしれない。

☆ようじ・ひでき 1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。

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