「日本での地元」 恩返ししたい アーチェリー・早川漣(デンソーソリューション)

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3月のアーチェリー東京五輪代表最終選考会をトップ通過して2度目の五輪出場を決めた早川=東京・夢の島公園アーチェリー場

 佐世保商高の県スポーツ専門員だった2012年、ロンドン五輪アーチェリー女子団体で銅メダルを獲得した早川漣(デンソーソリューション)。その後も長崎県を拠点に活動を続け、17年夏、東京五輪出場を目指して日本代表の施設が利用しやすい東京へ移った。「競技人生の最後だと思って精いっぱいやる」と位置づけている東京五輪の目標、韓国出身の自らにとって「日本での地元」と表現する長崎への思いなどを聞いた。

 -東京五輪を目指したきっかけは。
 日本でアーチェリーを広めたい、知ってほしいという思いがずっとある。ロンドン五輪後は「体験してみたいスポーツ1位」に選ばれたりしたけれど、また、あまり話題に上がらなくなっていった。右肩痛も悪化して、14年長崎国体後に弓を置いたが「早く戻ってきて」「待っているよ」と言われた。「必要とされているのかな」とうれしくなった。「もう一度、今まで支えてもらった人たちに恩返しができたら」と思って挑戦を決めた。

 -東京五輪の延期が決まった時の心境を。
 延期になる直前の20年3月の五輪代表2次選考会のころ。「もう半年しかないから精いっぱい走ってみよう」と思って、肩を結構使っていた。その負担もあって「もう1年となったら肩がもたない」と分かっていた。すごくつらかったし、不安で、引退も頭をよぎった。

 -そこからどうやって再起できたのか。
 会社の人や旦那さんなど、周りの人たちから「大丈夫だよ」と励ましてもらった。今の会社に入ったのも、五輪に出ていい結果を出すため。「挑戦も終わってないのにやめるのはどうかな。もう一度、頑張ってみよう」と考え直した。東京五輪の代表を決めた今も、みんなに支えてもらって、肩の痛みと付き合いながらやっているところ。

 -どんな縁で長崎に来たのか。
 私は韓国人で、日本に地元や古里がない。日体大4年生の時に教育実習があって、みんな母校に行っていたけれど、韓国の学校に通った私は帰れるところがなかった。その時に、14年長崎国体へ向けてアーチェリーを強化していた長崎から声が掛かり、教育実習も受け入れてもらった。長崎はそれからの縁。心の中で地元、実家みたいに思っていて、いい思い出しかない。みんな一緒に楽しく練習できたし、地元国体の成績(成年女子初優勝)も良かったし。

2014年10月、長崎国体のアーチェリー成年女子で初優勝した長崎チーム。早川(左から2人目)が力強く仲間をけん引した=佐世保市総合グラウンド陸上競技場

 -長崎への思い、印象に残っていることは。
 人に恵まれた。今回、五輪出場が決まった時、ロンドン五輪に出た時のことがいろいろと思い浮かんだ。当時、長崎の人にはお世話になって、すごく感謝している。もう一度、代表に選ばれた時も「おめでとう」と連絡が来てうれしかった。落ち着いたら、また長崎に遊びに行きたい。

 -長崎の皆さんへひと言。
 長崎を離れて3、4年たつけれど、今も何かあるたびに言葉を掛けてもらう。私が忘れられていないということがうれしくて、力になっている。東京五輪で結果を出して、夢と希望を届けられるように頑張ります。

 【略歴】はやかわ・れん 韓国出身。母国の実業団を退社後、2007年に日体大へ進学。09年に日本国籍を取得した。11年から佐世保商高県スポーツ専門員を務めるなど、長崎県を拠点に活動。12年にロンドン五輪女子団体の銅メダリストとなり、佐世保市民栄誉賞を受賞した。17年夏に東京へ移り、18年秋からデンソーソリューション所属。好きな言葉は「やればできる」。180センチ、33歳。


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