“いかり”記念碑をきれいに 自衛隊OB「先人への敬意忘れない」 東彼杵・旧海軍用水跡

旧海軍用水跡の記念碑を修繕する隊友会東彼支部の会員たち=東彼杵町瀬戸郷

 長崎県東彼東彼杵町瀬戸郷の国道沿いに、船のいかりを冠したモニュメントが建っている。旧海軍が戦前に給水所として利用した「旧海軍用水跡」の記念碑。目の前を多くの車が行き交うが、近年は木や雑草に覆われ、目立たなくなっていた。埋もれかけた史跡に光を当てようと、東彼川棚、東彼杵両町の自衛隊OBでつくる隊友会東彼支部(森榮三郎会長、51人)が、修繕に乗り出した。
 用水跡の歴史は、旧海軍佐世保鎮守府が置かれた明治期にまでさかのぼる。町がまとめた「新・ふるさと発見」によると、鎮守府で使用する水が旧佐世保村だけでは足りず、千綿川から給水することにした。軍の船が大崎半島(川棚町)を過ぎたころに汽笛を鳴らし、これを聞いた旧千綿村の担当者が、船の到着までに取水の準備をしたという。村で火災が起きた際、偶然給水に来た海軍が消火を手伝い、集落を全焼から救ったという逸話もある。
 こうした縁もあり「湧水なりといえども、海軍用水としての貢献は無名の勇士に準ずる」として、在郷軍人と村が1933(昭和8)年に記念碑を建てた。太平洋戦争が始まると、いかりは軍に供出されたが、終戦後の54(昭和29)年に現在の形に再建された。
 記念碑は土地も含めて町が所有。10年ほど前から、同支部がボランティアで周辺の除草や清掃をしていたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で約2年間は取り組めずにいた。その間に雑草が生い茂り、いかりも汚れて、すっかり埋没。裏手の山から倒木の危険もあり、同支部が町に相談した。周辺の除草は町が担い、碑の修繕を同支部に依頼することにした。
 5月の大型連休中に支部会員がいかりを塗り直したり、説明板を磨いたりした。作業中、いかりを固定する留め具の腐食が進んでいることも分かり、町に対応を申し入れた。同支部の船本勝事務局長(62)は「軍と地域のつながりを示す貴重な史跡。できる範囲できれいに保ち、国や家族を守った先人への敬意を忘れないようにしたい」と話した。

隊友会東彼支部が作業する前の記念碑。木や草に覆われ、いかりも汚れていた(船本さん提供)

© 株式会社長崎新聞社