不調・丸に見せてほしい「3番の意地」清原“ハイタッチ拒否事件”のような爆発を!

山本ヘッド(左)に7番降格の理由を問いただす清原(2005年8月4日)

【赤坂英一 赤ペン!!】巨人・丸佳浩外野手(32)は今が一つの正念場だろう。2019年に広島からFA移籍して3年目、今季は開幕直後から長らく打率2割台前半に低迷している。

原監督のガマンも限界に近づきつつあるのか、7日のヤクルト戦で丸を3番から6番に下げたと思ったら、14日の阪神戦では巨人移籍後初の代打・中島を送った。15、16日には3番に戻し、丸も2日間で2安打1打点と気を吐いたが、まだ完全復活したとは言い難い。

FA選手が長く不振に陥ると、原監督は使い方をガラリと変える。その最たる例が、12年に横浜からFA移籍した村田修一(現野手総合コーチ)だ。移籍1年目こそ4、5番を任せたが、翌13年から調子を落とすや、打順を7、8番と下げ、交流戦では9番まで落とした。

そんな原監督の起用法に、名将とうたわれた野村克也氏は「ワシにはああいうまねはできない」と話していたものだ。「4番打者を8、9番に下げたりしたら、選手のプライドをどれだけ傷つけるか。ワシはやっぱりそういうことを考えてしまうから」と言うのである。

実際、村田もその後、立ち直ることなく、17年に戦力外通告を受ける。BCリーグ・栃木でプレーした翌18年、正式に引退を表明。巨人でコーチに就任したが、現役でもう一度復活し、最後の意地を見せてほしかった。

そんな“4番の意地”を見せつけた巨人のFA選手といえば、何といっても清原和博である。05年8月4日、旧広島市民球場での広島3連戦の3戦目のこと。左ヒザを痛めて1、2戦でスタメン落ちしていた清原は、山本功児ヘッドコーチに「明日(3戦目)からスタメンでいけます」と伝えていた。が、堀内監督が4番ではなく7番にしたものだから、清原はたちまち不満を爆発させた。

ロッカーで知人に携帯電話をかけ、ベンチの報道陣にも聞こえたほどの大声で「7番や、7番!」。慌てた山本ヘッドは「ヒザに不安があるだろうから気楽な打順で打たせたいんだ」と清原に堀内監督の考えを伝えたが、無論納得するはずもない。

怒り心頭の清原はこの試合の4回、バックスクリーン左にドカンと本塁打。ベンチ前に出迎えて手を出した堀内監督の前をスルーしてしまった。これが、語り草となったハイタッチ拒否事件だ。

もちろん、今どきの選手には清原のような態度は取れないだろう。だからこそ、今後の丸には、原監督にもう3番から外せないと思わせるような打棒爆発を期待したい。

☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。

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