東京・池袋の車暴走事故で2019年4月、松永拓也(まつなが・たくや)さん(34)は、当時31歳の妻真菜(まな)さんと3歳だった長女莉子(りこ)ちゃんを亡くした。あの事故から2年。2人のいない現実は今も耐えがたく、被告が原因は車の異常だと主張する裁判と向き合うのも苦しい。それでも顔を上げ、交通事故の防止を訴える活動を続けるのは「事故を1件でも減らし、2人の命を無駄にしないことが、残された自分の生きる意味だから」。(共同通信=平林未彩)
▽当たり前の暮らし
莉子ちゃんは16年1月に生まれた。料理上手の真菜さんを毎日見て育ったせいか、料理のままごとがお気に入り。寝息を立てる横で、拓也さんはこっそりとおもちゃの台所を組み立て、2歳の誕生日にプレゼントした。
喜んだ莉子ちゃんは、おもちゃの食べ物を皿に盛り「おとうさん、どうじょ(どうぞ)」と差し出す。拓也さんは一生懸命食べるふりをした。「本当にかわいくて、しょうがなかった」 3人が暮らしたアパートは今も、当時のままだ。壁には莉子ちゃんが書いた水族館のカメの絵が飾られ、大好きだった「ノンタン」の絵本が本棚に並ぶ。カレンダーはあの事故が起きてから、めくっていない。
「この狭い部屋で3人で暮らし、莉子は学校に行って、そのうち結婚もしたのかな。老後は真菜と2人で過ごして…。そんな未来が当たり前に来ると思っていた」
▽理不尽
19年4月19日昼すぎ、仕事中だった拓也さんの携帯電話が鳴った。警察からだった。「事故に遭ったので、すぐに来てください」。とりあえず電車に飛び乗った。数時間前までいつも通りだった2人にまさか。「何かの間違いだろう」。無事を祈る間、ニュースが目に入った。「池袋の事故で母子が心肺停止」。床に座り込み、そこからの記憶はほとんどない。
現場は東京都豊島区東池袋4丁目の都道。真菜さんは自転車の後部に莉子ちゃんを乗せ、横断歩道を渡っていた。旧通産省工業技術院元院長、飯塚幸三(いいづか・こうぞう)被告(89)の運転する車が暴走し、時速96キロまで加速して赤信号の交差点に突っ込んだ。2人は自転車ごとはね飛ばされ、亡くなった。車はトラックにぶつかって止まるまで走行を続け、他に9人が重軽傷を負った。 駆け付けた拓也さんが目にした2人は、あまりにも変わり果てていた。莉子ちゃんの損傷は特に激しく、看護師に見るのを止められた。「こんな理不尽なことがあるのか」。悔しさがこみ上げ、交通事故の恐ろしさを思い知らされた。
▽一目ぼれ
真菜さんとの出会いは事故の6年前。親族の法要で沖縄を訪れた13年、いとこに紹介され、2人で食事をした。「楽しくて僕がずっとしゃべっていて、真菜はにこにこして聞いてくれた」。店員に「閉店です」と言われるまで、気付けば入店してから6時間がたち、深夜になっていた。拓也さんの一目ぼれだった。
当時、真菜さんは地元の沖縄で暮らしていた。東京に住む拓也さんが交際を申し込んだが2回ふられた。半ば諦めながら3回目の告白をすると、真菜さんは「いいよ」と返した。予想外の返事に、「いいの?」と聞くと「今日何の日か知ってる?」と真菜さん。11月4日、「114(いいよ)」の日だった。遠距離恋愛が続いたが、毎日電話で話し、月に2回は沖縄に会いに行った。翌14年の11月4日に結婚した。
「真菜はあんまりしゃべらないけど友達が多い。愛を振りまく人で、全部が好きで、尊敬していた。こんな人間になりたいと思った」。拓也さんは真菜さんを語る時、自然と顔がほころぶ。
▽生きる意味
拓也さんは事故から1カ月間、会社を休んだ。現場近くの公園のベンチに毎日座り、2人のいない人生を考えた。「死んだ方がいいのかな」。当たり前の日常は一変し、何度も後を追おうと思った。でも、真菜も莉子も絶対に望まないだろう。「2人の命を無駄にしてはいけない」と踏みとどまった。
「起きてしまったことは変えられないが、自分で意味を持たせることはできる。他の人に同じ思いをしてほしくない」。それが残された拓也さんの生きる意味になった。
▽道しるべ
事故をなくしたいと思う一方、どう行動していいのか分からなかった。そんな時、関東交通犯罪遺族の会「あいの会」のメンバーから手紙が届いた。「1人で悩まないで」。そう書かれていた。
拓也さんは当時、妻子のことだからと、自分だけで抱え込みがちだった。1週間悩んでから連絡し、会に参加すると、「支援者がこんなにいるのかと気付かされ、遺族が何をすべきか手引きもしてくれた。真っ暗な道に光が差し、道しるべができたみたいだった」
今でも精神的に不安定になることがある。その度に目を閉じ、2人を思い浮かべてやり過ごすが、拓也さんは「支援者や家族、友人、支えてくれる人がいなければ、絶対に生きてこられなかった」と振り返る。
▽免許返納
車を運転していた飯塚被告は、アクセルとブレーキを踏み間違えて事故を起こしたとして、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われ、高齢者の運転を巡る議論が巻き起こった。
警察庁によると、高齢者の運転免許証の返納は18年の42万1190件から、事故後の19年に60万1022件と急増。20年も55万2381件に上る。
拓也さんは「返納は本当に勇気がある行為で、感謝している」と喜ぶ傍ら「根本的な解決ではない」と指摘する。「交通弱者と言われる地方の高齢者が、免許証を返納してどう生きていくのか、議論はまだ進んでいない。(足代わりとなる)小型車両の導入や乗り合いバスの普及など、返納を促すための材料を、国や自治体がもっと用意すべきだ」。
▽絶望
飯塚被告の公判は東京地裁で続き、4月27日の被告人質問では「アクセルを踏んでいないのに加速した」と説明した。車の異常が原因だとする被告の無罪主張は変わらず、拓也さんはこの日、閉廷後の記者会見で「悔しくむなしい。事故後、きょうが一番絶望を感じた」と涙を拭った。
飯塚被告は被告人質問で、被害者に「冥福を祈りたい気持ちでいっぱいだ」と話したが、すぐ近くに座る遺族に顔を向けることも、謝罪の言葉もなかった。「ちゃんと向き合っているのだろうか」。拓也さんは被害者参加制度を利用し、全ての公判に足を運んでいるが、疑問は解けていない。
6月、拓也さん自身も、被告に直接質問する。「怖い気持ちもあるけど、被害者や遺族の話を逃げずに聞いて、疑問に答えてほしい」。その気持ちをぶつけるつもりだ。
▽変わらぬ思い
「交通事故で平穏な日常が奪われる人がゼロになりますように」。昨年7月、拓也さんが毎日座っていた公園のベンチの場所に、こんなメッセージが添えられた慰霊碑が設置された。交通事故で亡くなった人への弔意と、事故防止への願いが込められている。
事故から2年となった今年4月19日、慰霊碑の前にたくさんの花が供えられ、多くの人がメッセージに目を向けた。発生時刻に慰霊碑に手を合わせた拓也さん。2人に「愛してる。生きていくと決めたから、心配しなくていいよ」と伝えた。 「自分が苦しければ苦しいほど、悲しければ悲しいほど、『こんな思いは誰にもしてほしくない』という気持ちが強くなる」。一方で、事故防止をいくら訴えても、2人が戻らない現実にむなしくなることがある。
それでも「自分がいつか天国へいく時、2人に『できることはやったよ』と言えるように生きたい。事故がない社会になるまで訴え続ける」。その思いは変わらない。