【オークス】ダンスパートナー 名伯楽GⅠ初制覇の裏に何が?

白井調教師(左から2人目)にとってGⅠ初制覇となった

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=1995年ダンスパートナー】

僕が競馬ファンの一人として最後に見たオークス馬が1995年のダンスパートナー。もちろん、レース当日は東京競馬場にいましたよ。馬券はワンダーパヒュームから買ってたのかな、確か。ある程度の知識が入っている現在なら、まず〝ない〟予想です。

東京の芝2400メートルで父フォティテン×母父トウショウボーイは無理筋な血統。一方、勝ったダンスパートナーは父がサンデーサイレンス、母はニジンスキー直子のダンシングキイですもん。半兄エアダブリンもステイヤーとしての地位を確立してましたし、普通ならコチラですよ。まあ、それもいまだからこそ思うことなんでしょうけど(苦笑)。

ダンスパートナーが所属していたのは栗東の白井寿昭厩舎。現在ではスペシャルウィーク、アグネスデジタルなどの管理トレーナーとして知られる白井師ですが、初めてのGⅠ勝利はダンスパートナーが勝ったオークスでした。

今から5年ほど前ですかね、東スポ紙面で同馬を管理した白井寿昭調教師の半生を振り返る連載があったんですけど、そのときの担当を僕がさせていただきました。理論派で血統論者なうえに実践主義でもあるので、どの話も実に面白いんですけど、それを全てここで書いてしまうと、それこそ〝連載〟になってしまうので、これに関してはバックナンバーなどを探してもらうか、どこかで披露するタイミングを待ってもらうかにして、今回は目の前のオークスの話を。

このレース以前のダンスパートナーと言えば、出遅れ癖がセットのようなイメージで、実際に桜花賞では出遅れが響いて2着に敗れている。でも、このオークスでは出遅れてないんですよね。普通にスタートを切って…と言っても、ちょっとは遅れてるんですけど、桜花賞に比べると相当にマシなレベル。「スタートこそが勝因」と白井師が言っていたくらいですから、本当にそうなんでしょう。もちろん、出遅れなかったことは単なる偶然などではありません。ちゃんとした理由がありました。

「桜花賞は能力で負けたわけとちゃうやろ? それが俺は悔しかったんやなあ。それでゲートに縛り付けた。でも、縛りつけること自体に抵抗があった時代やし、GⅠで勝ち負けするような馬ならなおのこと。〝これ、桜花賞2着のダンスパートナーやん。こんなんやってええんか〟なんて言われたりもしたよ。時には分以上も縛りつけてたからさ。暴れるし、叫ぶしで大変。ホントにかわいそうなんやけど、悪い芽を摘み取り、他馬と互角に戦うチャンスを与えるのも調教師の役目。そう考えてな。周囲にどう思われてもええ。信念を貫き通すと決めたんや」と白井師。初GⅠ制覇というだけでなく、目の前の課題をクリアしての勝利だったことが大きな喜びにつながったそうです。

オークスの直前にもなると桜花賞組とそれ以外のレース間隔の差についての話題も出ますよね? これもダンスパートナーには「大きかった」と言ってましたよ。

「チューリップ賞から桜花賞は微妙に日数が足りないけど、桜花賞からオークスは1か月以上。この期間の長さがありがたかったし、その期間があったからこそ、本腰を入れてゲート難に取り組むことができた。これは皐月賞からダービーに関しても言えることやけどさ。何かの課題を残して負けてしまった馬が、その課題を解消し、なおかつ本番への調整をしっかりできるだけの時間がクラシック組にはあるんだよな。でも、トライアル組はそうはいかんで。修正点が見つかっても直す時間がなければ同じこと。逆に不安が増すだけやから」

強い相手と戦っていること。これをアドバンテージとする声が一般的ですし、実際にそうなんでしょうけど、クラシックが王道と呼ばれるゆえんはそれだけではない…ということですかね。特に輸送を控える関西馬にとっては大きなマイナス。それは桜花賞の同日に行われる忘れな草賞にも共通することかもしれません。

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