デビュー2戦目でのポール・トゥ・ウイン。ジュリアーノ・アレジ(Kuo VANTELIN TEAM TOM’S)が梅雨入り直後の九州で大輪の花を咲かせた。新型コロナ蔓延防止策により、WEC世界耐久選手権に出場した中嶋一貴は前戦鈴鹿と第3戦オートポリスを欠場。その代役として、アレジは一貴のトムス36号車をドライブする大任を担った。
本来ならば、彼の主戦場は全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権。オートポリスでもアレジは両カテゴリーを掛け持ちし、雨でびっしょり濡れたレーシングスーツをすぐに着替え、各セッションをこなしていった。かなりハードなスケジュールだったが、初めて走るオートポリス、しかもウエットという難しいコンディションで多くの周回を重ねることができたのは、むしろ大きな収穫だったに違いない。
アレジの走り始めはあまり良くなく、土曜日朝のフリープラクティスはトップの大湯都史樹(TCS NAKAJIMA RACING)から3秒以上遅い16番手タイム。トリッキーなウエットコンディションで何もかも新しい経験であったこと、そしてこれまでのヨーロッパでの実績を考えれば、とくに不思議ではないタイムだった。
しかし、午後に行われた予選では何とトップタイムを記録した。断続的に強く降る雨により、ノックアウトではなく40分間の計時予選に変更されたが、それが彼とトムスにとってプラスに働いたのは事実である。
過去の例を見ても明らかなように、ウエットコンディションの予選は赤旗中断が多く、セッションが途切れやすい。その度に仕切り直しとなるが、昨年のチャンピオンチームであるトムスは、ピット位置が出口にもっとも近く、セッション開始とともにアレジは真っ先にコースインすることができた。
「雨の予選で一番重要なのはクリーンな視界で走れること。前を走るクルマの水しぶきによって視界が悪くなり、路面のどこに水が溜まっているのか分からなくなります。だから距離をとろうとゆっくり走るとタイヤが冷えてしまうし、車間が大きく開くのでピットが奥のほうの選手は走れる時間や周回数が減ってしまいます」と、予選6番手に留まったcarenex TEAM IMPULの平川亮。開幕2連勝を果たしたTEAM MUGENの野尻智紀に次ぐ、選手権2位につけている。
平川が言うように、全車が一斉に雪崩れ込む雨の計時予選では、ピットの位置が非常に重要だった。今回もアレジとチームメイトの宮田莉朋(Kuo VANTELIN TEAM TOM’S)がアタックを終えた直後にアクシデントが起きるケースが多く、平川や野尻は何度かアタック機会を途中で奪われた。
しかし、それでもチャンスを確実に生かしたからこそアレジはグリッド最先端を勝ち取ったのだ。それも、自らが「先生」と呼ぶ宮田を抑えて。3番手にはP.MU/CERUMO・INGINGの阪口晴南がつけたが、結果的に予選トップ3は1999年生まれの21歳3人によって占められた。
ウエットの決勝は、驚くべきことにスタンディングスタート。アレジはドライでも難しいハンドクラッチを完璧に操り、素晴らしいスタートを決めた。その後方では平川に坪井翔が追突し多重クラッシュとスピンでカオス状態に。優勝候補の平川がリタイアし、野尻が下位に沈んだのはアレジにとってラッキーだったかもしれない。
それでも、セーフティカー明けのローリングスタートも無難に決め、間隙を突き予選13番手から2番手にまで順位を上げていた松下信治(B-Max Racing Team)をしっかり抑え続け、大きなミスなく走行。その後、クラッシュと天候悪化でレースは赤旗中断のままコース上で終わりを迎え、アレジは参戦2戦目にして優勝を手にした。
■アレジはクルマに注文をつけるのではなく、走り方を自分で工夫する
優勝後の記者会見で勝因を訊ねられたアレジは「イイクルマ」と、たどたどしい日本語で答えた。あまり堪能ではない日本語で一生懸命話そうとする姿は、多くの人を笑顔にしハートをつかむ。そして、過度に勝利を喜ぶことなく、チームへの心からの感謝を述べ、自分がまだ力不足であること、さらなる学習と努力が必要であると冷静に分析するその真摯な姿勢は、チーム関係者をやる気にさせる。
トムスの館信秀監督は優勝を素直に喜びながらも、「申し訳ないけど、僕はまだまだだと思っていましたし、あんなに完璧な予選とレースをしてくれるとは正直思っていませんでした」と荒れ模様だったレースを振り返った。
館監督だけではない。チームのエンジニアリングを統括する東條力氏も、望外ともいえる活躍に驚いたという。
「過去にウチで走っていた超一流の外国人選手たちと比べると、正直少しレベルは劣るかなと思っていました。でも、ジュリアーノは走るごとに成長していますし、何でも学ぼうというどん欲な姿勢は素晴らしい。彼の一番いいところは、とにかく素直でマジメであることだと思います」と東條氏。
「鈴鹿もオートポリスも基本的には僕らが考えた持ち込みのセットのまま最後まで走り、変えたのは車高くらいでした。クルマにあれこれ注文をつけるのではなく、自分で走り方を工夫して慣れていった。また、無線で『セクター2が遅いよ』とか伝えると、『分かりました』とすぐにタイムを上げられたくらい調整能力は高い。そういう意味では、これからさらにレベルが上がって、クルマを自分好みに仕上げるようになれば、もっと速くなるかもしれませんね」
散々だったFIA-F2時代、実力不足であったことは確かだが、チームに恵まれなかったのも事実である。しかし、トムスという最強のバックアップ体制を得て、アレジは遅咲きの花を日本で咲かせようとしている。
「まだまだ伸びると思います。でも、スーパーフォーミュラ・ライツでも勝ってチャンピオンになってもらわないとね」と、東條氏は厳しい。しかし、ミドルフォーミュラよりもビッグフォーミュラのほうが合っているかもしれないという可能性は否定しない。
「時間をかけて育てていきたいと思っていましたが、いますぐにレギュラーメンバーでもいいような気持ちがしています。少し中嶋一貴には申し訳ないけど。次戦、一貴どうしようかなと思ったのですけど(笑)」と、館監督。やや冗談めかした物言いながら、その笑顔にはアレジの才能に対する確信と、将来への期待が感じられた。