スキー旅行にバイク免許「人生が楽しい」 引退の概念に囚われない五十嵐亮太氏の今

ヤクルトなどで活躍した五十嵐亮太氏【写真:荒川祐史】

昨季を限りに23年のプロ生活に幕「ひたすら今の人生をエンジョイ」

昨年を限りに23年のプロ野球生活にピリオドを打った五十嵐亮太氏。千葉・敬愛学園高から1997年ドラフト2位でヤクルト入りした右腕は最速158キロの速球を武器に、日米通算906試合登板、70勝41敗70セーブの記録を積み上げた。

米球界、ソフトバンクを経て再加入したヤクルトで迎えた現役最後の試合は2020年10月25日の中日戦。8回表。何千球と腕を振った神宮球場のマウンドに上がると、打席に立つシエラを初球の真ん中高めストレートで三塁ゴロに仕留めた。わずか1球。もう少し長くその雄姿を見たいと願うファンもいただろうが、涙なく、終始浮かべた笑顔と合わせ、五十嵐亮太“らしさ”の詰まった引退試合となった。

あれから7か月。新たな生活をスタートさせた五十嵐氏は「とにかく楽しい! 人生が楽しい!」と、現役時代と変わらない笑顔を浮かべる。テレビなどで野球解説を務めながら、いろいろな可能性にチャレンジする毎日。まもなく42歳を迎える元プロ野球選手が挑むチャレンジの一端を明かしてもらった。

高校を卒業し、いわゆる社会人になってから初めて迎えた“野球をしない”生活。毎年シーズンが終わると、翌年2月のキャンプインに向け、オフの過ごし方を考えていたが、もうその必要はなくなった。ある程度の違和感を覚悟していたが、待っていたのは「ひたすら解放された気分だった」という。

「自分が引退すると決まってから気持ちの整理がついていったのか、『今の時期はこれをやっているのに』って思わなかったんですよ。『さあ、次は何をしようかな』という中で、解説をはじめ野球に携われるお仕事をいただいたり、現役中にはできなかったことをやったりしてきたので、ひたすら今の人生をエンジョイしている感じです」

引退してまず最初に行ったのは、スキーだ。北海道生まれの北海道育ち。小学4年で千葉に引っ越したが、スキーの国体選手だった父の影響もあり、幼い頃から親しんでいた。だが、大怪我を負うリスクを考慮して、プロ入り後は雪山へ思いを馳せながらも「野球をやる楽しさだったり、仕事への責任感が勝っていた」とスキーを封印。引退すると真っ先に禁を解いた。

「楽しかったですね~。あの白い雪景色、最高でした。2泊3日で家族と一緒に新潟へ行ったんですけど、久しぶりにあんなに積もった雪を見て、僕も娘も息子もかなり興奮してしまい、夜遅い時間だったのに駅のホームで速攻雪合戦ですよ(笑)。次の日の朝イチから帰宅する直前まで、たっぷり滑って。これで滑れなかったら何だって話なんですけど、ちゃんと滑ったのは小学生以来なのに結構滑れたんです」

真っ白なゲレンデの上に立つと、子どもの頃、体に染み込んだ感覚と技術が、あっという間に甦ってきた。「どんどん攻めて滑れた」とコースの難易度を上げ、最終的には超上級者コースに挑戦も「ズタズタにコケました」と大笑いする。

「恐怖と向き合うというか、スリルを求めてしまいました(笑)。見事にコケるから、本当に雪だるまみたいになっちゃって。ゴールにたどり着くまで、めちゃ格好悪かった。でも、これもまた新鮮な楽しみで、骨折したとしても自業自得。やりたかったことが1つ、チェックリストから消えました」

ヤクルトなどで活躍した五十嵐亮太氏【写真:荒川祐史】

バイク免許取得に家事参加「新しい人生のスタートですね」

そして最近、もう1つチェックリストから消えた項目がある。それがバイク免許の取得だ。まず普通二輪免許を取り、今は大型二輪免許の取得を目指し、教習所に通っている。通称“一本橋”と呼ばれる直線狭路コースでは、教習所の指導員になるために求められる最低ライン、13秒の壁を越えるセンスを発揮。「中型はギアの切り替えが楽しい」と目を輝かせる。

先日は中型バイクをレンタルして、千葉方面までツーリングに出掛けたという。

「ディズニーランドの方まで行って、楽しかったですね。車よりバイクの方がスピードを感じるので、最初は高速に乗るのがちょっと怖かったけど。大型が取れたら遠くまで行きたいですね。まだバイクに慣れてないから、信号で車の前に止まってエンストしたらどうしようとか、いろんなドキドキを感じながら乗っている段階です。もちろん、安全第一で」

新しいことと言えば、これだけ長い時間を家族と一緒に過ごすのも初めてだ。野球選手はシーズンが始まれば、日程の半分は遠征に出掛けて家を留守にする。現役時代は「家のことはほとんどやらなくて、妻がほぼ全部やってくれていた」が、今は「いい具合を確かめながら」家事にも参加する。

「野球をしている時は全然手伝わなかったし、妻も何か言ってくるわけではなかったので、逆にこれだけ家にいると家族がちょっと嫌じゃないかなって不安はありますよね。今は空いている時間でお互いストレスが溜まらないように、『これ以上やるとダメかな』『これやったら喧嘩になるかな』といい具合を確かめながら、役割分担を始めています。洗い物をしたり、ご飯も鍋だったら作れます。野菜を切るだけだから(笑)。あと、僕に対する娘や息子のツッコミがだんだん的確で厳しくなってきて。言ってることは、確かに当たっているんですよ。当たってるからこそイラッとしたりして(笑)。これも新しい人生のスタートって感じですね」

ここまで今を楽しめているのには、理由がある。それは五十嵐氏が持つ「引退」に対する柔軟な考え方だ。

「引退したから、もう野球ができないってわけじゃないと思うんですよ。幸い、僕は引退試合でしっかりやらせてもらって、野球に対して気持ちよく引退することはできたけれど、でも、もし野球がまたやりたくなったら続けられる環境は意外とあるのかな、と。『なんだ五十嵐、引退したのにまたやるのかよ』って思われる可能性はあるけれど、実際、野球をやろうと思えばどんな形でも続けることはできる。引退=もう野球は一切やりません、となると、野球から離れたくない気持ちが生まれてくるんじゃないかって思うんです。僕は引退したし、気持ちよく辞めたけど、またやりたくなったらやればいいんじゃないかな、くらいのちょっと軽い気持ちはありますよね」

ヤクルトなどで活躍した五十嵐亮太氏【写真:荒川祐史】

アメリカで経験した型にはまらない発想「僕の中にも柔軟性が生まれた」

2020年12月は、かつて阪神などで活躍した新庄剛志氏がNPB復帰を目指し、12球団合同トライアウトに参加したことが大きな話題となった。「また野球がやりたくなったらやればいい」という思いを体現した1人だが、五十嵐氏に柔軟な思考を与えたのは2012年、ヤンキース在籍時に同じユニホームに袖を通した通算256勝の大投手、アンディー・ペティットの生き方だ。

ペティットは2011年2月に現役引退を表明したが、翌年の3月に古巣ヤンキースから請われる形で現役復帰。1年のブランクを物ともせず、2013年を最後に2度目の引退を表明するまで、2シーズンで42試合に先発し、1完投を含む16勝15敗という成績を残した。

「引退したら野球をやっちゃいけないわけじゃない。チームに戻ってきてくれと言われて復帰したペティットもいるし、メッツ時代のチームメートだった(ジェイソン・)イズリングハウゼンも肘の怪我をして引退を考えたけど、トミー・ジョン手術をしたらまだ投げられそうな気がするって復活して、通算300セーブを達成しているし。アメリカでいろいろな型にはまらない発想を経験できたことで、僕の中にも柔軟性が生まれた気がします」

となると、ファンはいつの日か投手・五十嵐亮太が真剣勝負の舞台に復活することを期待してもいいのだろうか。可能性はゼロではないが、すぐに起こることではなさそうだ。

「あそこまでの引退試合を用意してもらって辞められる選手はなかなかいない。自分がイメージした引退より、はるかにいい形で引退を迎えることができたので、その感謝の気持ちも含め、今は非常にすっきりした気持ちの方が強いですね」

自らの可能性を閉ざさない柔軟な思考を持ちつつも、今は野球以外の新たな挑戦から受ける刺激に魅せられているようだ。

○五十嵐亮太氏の最新情報はこちらから
公式Instagram https://www.instagram.com/ryota_igarashi53/(佐藤直子 / Naoko Sato)

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