【プロレス蔵出し写真館】猪木を差し置いてWWFでメインを飾ったキラー・カーン 本人語るベストバウトは?

トップロープからホーガン(下)を襲うカーンの〝アルバトロス殺法〟(87年11月、ロサンゼルス)

トップロープから両ヒザで飛び降りる〝蒙古の怪人〟キラー・カーン。カーンの得意技フライングダブルニードロップだ。

これは今から33年前の昭和62年(1987年)11月14日、米ロサンゼルス・スポーツアリーナで行われたカーンが王者ハルク・ホーガンに挑戦したWWF(現WWE)世界ヘビー級選手権試合。この技は、奇声を発して飛び降りるさまを海鳥アホウドリに例えて〝アルバトロス殺法〟と呼ばれた。

トップヒールとして活躍していたカーンだが、この年の12月16日に突如、後楽園ホールで行われた全日本プロレスのハル薗田夫妻を偲ぶメモリアル・セレモニーに姿を現した。新婚旅行を兼ねて南アフリカ遠征に送り出され、11月28日に航空機事故で亡くなった薗田。義理堅いカーンが、一時帰国して参列していたと皆が思っていたのだが…しばらくたってから、引退していたことが判明した。

記録では11月29日、ミシガン州ポンティアックでのドン・ムラコ戦がカーンのWWFでの最終戦。そして現役最後の試合となった(本人の記憶ではニュージャージーでのジョージ・スチール戦が最後らしい)。

振り返ると、カーンがWWFで聖地ニューヨークMS・Gに初登場したのは80年12月29日。いきなり当時のWWF世界ヘビー級王者ボブ・バックランドに挑戦するという破格の扱いだった。

この日は、カーンが所属していた新日本プロレス勢が大挙してMS・Gに登場していて、アントニオ猪木はボビー・ダンカンとNWFヘビー級、藤波辰巳(現・辰爾)はドン・ダイヤモンドとWWFジュニアヘビー級王座のそれぞれ防衛戦を行った。そして坂口征二はワイルド・サモアンズ2号と対戦し、期待の大型新人・谷津嘉章は国内に先駆け、カルロス・ホセ・エストラーダを相手にプロレスデビュー戦を行った。カーンは新日本のトップ3を抑えて、メインイベントに登場したのだった。

さて、カーンといえばアンドレ・ザ・ジャイアントとの抗争が広く知られていて、日本でも82年4月1日に蔵前国技館で「第5回MS・Gシリーズ」優勝決定戦で名勝負を演じた。

本人が選ぶベストバウトは何だろう?

「色んな人に聞かれるんだけどね…。テリー・ゴディとやった試合、テキサスデスマッチだね(84年ごろのテキサス州ダラスでの試合と思われる)。あと、藤波ともいい試合ができたと思うね」(カーン)。

確かに藤波とは74年12月8日、愛知・刈谷市体育館で行われた若手の登竜門「第1回カール・ゴッチ杯」決勝で好勝負を展開。83年11月3日、蔵前での正規軍VS維新軍4対4綱引き抽選マッチでは観客を熱狂させた。

日本プロレス時代からともに切磋琢磨してきた二人は〝手が合う〟のだろう。

ところで、カーンは89年から新宿区中井の「スナック カンちゃん」を手始めに飲食店を経営していたが、新大久保で営業していた「居酒屋カンちゃん」は、様々な要因で今月22日で閉店した。

昨年の12月9日、ネットニュースを賑わせた道路交通法違反(ひき逃げ)と重過失傷害の容疑で警視庁に書類送検された影響もあるのだろうか…。

それでもカーンは「場所はまだ言えないけど、これからはお年寄りだけ(を対象)の歌謡酒場をやろうと思ってますよ。なんたって私はおじいちゃん、おばあちゃんのアイドルだからね」。かつてボランティアで老人ホームを慰問した実績のあるカーンは、そう言ってはにかんだ(敬称略)。

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