クイーンのキャリアで最も大きなコンサートの裏側:1976年ハイド・パークでの無料ライヴ

Photo: Chris Walter/WireImage

クイーン(Queen)は、結成50周年を記念して毎週公開しているミニドキュメンタリーリーズ「Queen The Greatest」の第10弾として「1976年 ライヴ・イン・ハイド・パーク – Picnic by The Serpentine」を公開した。

<動画(日本語字幕付き):Queen: 1976年 ライヴ・イン・ハイド・パーク - Picnic by The Serpentine (エピソード10)>

今週のエピソードは、1976年9月18日、クイーンのキャリアの中で最も大きなコンサートの一つになっているものだ。当時の成功を受けたバンドは、応援してくれているファン達へ感謝の気持ちを伝えるために、何か特別なことをしたいと考えて、ロンドンの中心地ハイド・パーク公園での無料コンサートを計画した。

しかし、こういった大規模なイベントには困難がつきものだ。当時の貴重なインタビューやニュース映像を見ると、危うくバンドが逮捕されるところというまさに記憶に残る一夜だった。クイーンがハイド・パークでライヴを行うことは、大規模なイベントであったが、大きな報いも得られるものであった。ブライアン・メイが当時のインタビューでこう語っている。

「私たちも含めて多くの人が8〜9週間かけて準備をしていました、許可が得られなかったり、芝生が大丈夫かどうか気になったりと、さまざまなトラウマがありました。当時は干ばつが続いていて、雨が降らないと演奏してはいけないという、ちょっと変わったこともあった。そういうことがたくさんあって、最後の最後まで悩みました」

「大勢の観客の前で演奏したことはあっても、ここはロンドンであり、私たちのホームなので、何かが違うのです」

困難な状況にもかかわらず、コンサートは成功を収めた。当時のニュース番組の貴重な映像が示すように、バンドにとって大きな勝利でもあった。番組ではこう語られていた。

「5万人以上の人々が無料コンサートに集まり、9時間の間に逮捕者はわずか4人という驚くほど平和なコンサートでした。警察の存在は最小限に抑えられ、目に見えるところには40人の警官しかいませんでしたが、目に見えないところには少なくともその2倍の警官が控えていました」

「クイーンは、このコンサートのプロモーションに5万ポンドの私財を投じていました。たかがロックンロール、されどロックンロール、お金がかかるようです」

実際、観客の数は15万人から20万人と言われており、クイーンはハイド・パークを80分間にわたって揺らし続けた。しかし、バンドが最後にアンコールをしようとすると、警察が介入してきた。ブライアンはこう語る。

「その時は誰も気づかなかったのですがアンコールに出ると逮捕されると脅されてバンに押し込まれ、別の場所に連れて行かれたんです。とても奇妙でしたね。人ごみの中で神経質になっていたと思うし、暗闇の中で(人の流れや盛り上がりを)コントロールできるかどうかを心配していたと思っていたので。それ以外はとても良かったですよ」

このような一夜を残しておく必要があったため、コンサートは撮影され、その映像はすぐに「Somebody To Love」のプロモーションビデオに使用された。

ブライアンは最近になって当時を振り返ると、ハイド・パークでのライヴがクイーンにとって大きな一歩となったこと、そしてその夜がバンドにとってどのような意味を持っていたかをこう語る。

「私たちは世界中で地位を築いてきたけど、“イギリスは私たちのことをそんなにクールだとは思ってはいないな”って感じていたことを覚えています。(でもハイド・パークでのライヴが)信じられないほどの満員で、まるでヒーローたちの凱旋のような歓迎を受けた気分でした」

それから約30年後の2005年7月、ブライアン・メイとロジャー・テイラーは、当時ともに活動していたポール・ロジャースとともに、ハイド・パークに感動的な帰還を果たした。そのコンサートは当初は7月8日に予定されていましたが、市内で発生した壊滅的なテロのために延期となったが、その1週間後には、バンドのゲストとして招待された数百人の救急隊員や救助隊員を含む大勢の聴衆を前に、感動的で忘れられない一夜を過ごしたのだった。

Written By Tim Peacock

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