雲仙岳災害記念館 太田元所長の執務室再現へ 九大観測所で中心的役割果たす 雲仙・普賢岳大火砕流30年

雲仙岳災害記念館に再現する太田さんの執務室=島原市新山2丁目、九州大地震火山観測研究センター

 1990年11月から約5年半に及んだ雲仙・普賢岳噴火災害で、九州大島原地震火山観測所(現・九州大地震火山観測研究センター)の所長として観測の中心的役割を果たした太田一也さん(86)=同大名誉教授=の執務室が、長崎県島原市平成町の雲仙岳災害記念館に再現されることが26日、分かった。完成時期は未定だが、太田さんが蓄積した膨大な研究資料や各種設備を寄贈。風化する災害体験の継承に役立てる。
 関係者によると、太田さんが1998年3月末に大学を退官して以降、噴火災害の様子を撮影した十数万枚に上る写真や溶岩ドームのスケッチ、観測データなどの受け入れ先を探す動きがあった。
 太田さんの「展示だけでなく、必要に応じて活用できる保存を」との意向を受け、親交のある須郷茂夫さん(77)=福岡県太宰府市=らが奔走。雲仙岳災害記念館を運営する雲仙岳災害記念財団(理事長・古川隆三郎島原市長)との間で話がまとまった。
 再現するのは、島原市新山2丁目の九州大地震火山観測研究センター内にある執務室で、6畳ほどの広さ。除湿機能を備えた写真保管庫や、溶岩ドームが日々成長する様子を描いたスケッチを収めたファイルなどが今も所狭しと並んでいる。太田さん愛用の机や椅子、岩石の標本なども含め、そのままの状態で移設する予定。
 古川市長は「現存する資料は、子どもたちに噴火災害を伝承するための貴重なツール。収納ではなく、実際に手に触れたりできる展示、保存を考えたい」と話した。

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