〝人間国宝〟の歌舞伎俳優・片岡秀太郎さんが死去 養子・愛之助「イズムを踏襲したい」

片岡秀太郎さん

上方歌舞伎を代表する女形として活躍した歌舞伎俳優で人間国宝の片岡秀太郎(かたおか・ひでたろう、本名彦人=よしひと)さんが23日午後0時55分、慢性閉塞性肺疾患のため大阪府吹田市の自宅で死去した。79歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。松竹が27日、発表した。

十三代目片岡仁左衛門の二男として生まれた秀太郎さんは、1946年10月、南座「吉田屋」の禿(かむろ)で片岡彦人の名で初舞台を踏んだ。

56年3月大阪・歌舞伎座「河内山」の浪路で二代目片岡秀太郎を襲名。関西に居を構え、上方らしいはんなりとした芝居を継承する女形として長年舞台に立ち、上方歌舞伎の振興に力を注いだ。

才能を見込んだ片岡愛之助を養子に迎え、97年に開塾した「松竹・上方歌舞伎塾」、13年に開校したこども歌舞伎スクール「寺子屋」で講師を務めるなど、後進の育成にも力を注いだ。

19年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、この春には旭日小綬章を受章していた。最後の舞台は昨年12月、京都・南座だった。

実弟の片岡仁左衛門は松竹を通じ、「兄は当人の理想通りの最期を迎えられ、安らかに旅立ちましたことが私たちどものせめてもの救いでございます。生前、皆様から賜りましたご支援、ご厚情に深く御礼申し上げます」とコメントを発表。

愛之助は「父は私を歌舞伎の世界に、そして、松島屋に入れて下さった大恩人であります。普段はとても優しいのですが、芝居の事になると兎にも角にも厳しい方でした。上方にこだわり上方の歌舞伎に情熱を注がれていました。これからもなお一層、秀太郎イズムを踏襲したいと思っております」と決意をつづった。

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