俳優・片桐仁が“油絵の技術の粋を極めた”と称するクールベの激動の人生

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30~)。この番組では、多摩美術大学卒業で芸術家としても活躍する片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉えて、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。5月1日(土)の放送では、「パナソニック汐留美術館」に伺いました。

◆今にも映画が始まりそう…写実主義の巨匠の名画に驚嘆

今回の舞台、東京都港区にあるパナソニック汐留美術館では、4月10日(土)から写実主義の巨匠ギュスターヴ・クールベにフォーカスした「クールベと海 展―フランス近代 自然へのまなざし」が開催(新型コロナウイルス感染拡大防止のため4月28日(水)より臨時休館中)。

クールベについて、片桐は「とにかく絵が上手い。そっくりに描く。油絵の技術の粋を極めた」とその印象を語ります。この展覧会では、彼が好んで描いた海の風景画を中心に約30点の作品を展示しています。

今回、館内を案内してくれるのは同館学芸員の古賀暁子さん。まず片桐の目に留まったのは代表作「波」(1869年)。「今にも映画が始まりそうな感じ」と評す通り、その絵はとてもリアル。さらには「この波のところの絵具がすごい!」、「筆ではなく絵具を乗せている」と驚きの声を上げます。

実際、クールベは絵筆だけでなく、パレットナイフで直接絵具を擦り付けるようにして波の物資感を表現。また、この絵のもう1つの特徴は、船や人物といった物語性や時代性を一切排除していること。波のみを描くことは当時としては革新的な試みだったと古賀さん。

◆パリ万博で展示拒否され、世界初の個展を開催

次に片桐が注目したのは、「フランシュ=コンテの谷、オルナン付近」(1865年頃)。これはクールベの生まれ故郷の風景画で、彼はそのモチーフを好み、20代でパリに出た後も度々描いていたとか。

クールベの作品の特徴は「ありのままを描く」こと。彼自身「私は天使は描かない。なぜなら見たことがないから」と語っており、その姿勢から"レアリスム(写実主義)の父”と言われています。

19世紀のフランス絵画の主流は、神の世界や理想の世界を描くことで、現実をそのまま描くことは芸術と認められませんでしたが、彼はその当時の常識を真っ向から否定します。

そして、「オルナンの埋葬」(1849~1850年)では、名もなき村人を主役として描き、保守的なパリの画壇から酷評。さらに、「画家のアトリエ」(1854/1855年)では中央にクールベ、右側に友人たちや支持者など裕福な人々、左側に商人や墓掘り人などを貧困や搾取の象徴として描き、現実世界を描くだけでなく当時の社会を皮肉った要素も取り入れ、物議を醸しました。

また、作品をパリ万博に出品しようとするも展示を拒否されてしまいます。しかし、そこで挫けることなく、彼は万博会場の敷地内に勝手に小屋を建て作品を展示。当時、個展という概念はなく、この行動こそが美術史上初、世界初の個展と言われています。これを機にクールベは注目を集め、彼の写実主義は後の印象派に大きな影響を与えることになります。

◆後の印象派にも大きな影響を与えることに…

今回の展覧会のメインテーマは「海」。それはクールベが好んで描いたモチーフの1つで、「嵐の海」(1865年)を見た片桐は、「海を何時間見たんだろう、これはすごい」と感嘆し、荒々しい絵肌に目を留めます。

実は、クールベは22歳まで海を見たことがなかったそうで、それを聞いた片桐は「その初期衝動というか、それが一瞬たりとも止まっていない海を油絵に封じ込めたいという彼の原点なのかもしれない」と推察。

その後、40代になったクールベは初めて海を見た地、フランス・ノルマンディーに度々滞在し、そこで精力的に海の絵を描き、より独創的なものに昇華させていきました。その結晶が、冒頭で紹介した「波」。作品を前に、片桐は「この荒々しいタッチ、水しぶきの印象をそのまま乗せたような感覚が、印象派に繋がっていくような感じもしますよね」と見入ります。

クールベは印象派との交流もあり、ノルマンディーの海岸でウジェーヌ・ブーダンやクロード・モネらと絵を描き、さらには「波」のように同じ主題を繰り返し描くスタイルは、印象派にも影響を与えたと言われています。

海の風景画を数多く描き、クールベは大きな成功を収めましたが、ある事件により彼は1873年にスイスに亡命。その後、二度と母国フランスに戻ることはできませんでした。

◆亡命後も絵を描き続けた激動の人生の終焉

クールベ亡命の原因は政治的な事件を起こしたから。その事件で逮捕され、さらには器物損壊で莫大な金額を払うよう命令され、彼は亡命先でも借金返済のために絵を描き続けます。

亡命後に描かれた「シヨン城」(1874年)は、故郷オルナンの風景画、60年代の海の風景画を思い起こさせるような作品となっており、片桐は「絵のタッチは変わっていないですね」と感想を語ります。一方で、「雲や空がなく、不穏な自分の心を投影しているようにも見える」とも。そして、同時期に描かれた「波」(1874頃)と過去の波の絵を比較し「生々しい嵐の波と色味が違いますね」と指摘します。

というのも、亡命前後では大きな違いがあり、それは「スイスには海がないこと」。つまり、亡命後のクールベは実際に海を見て描いたのではなく、記憶や描き止めたスケッチをもとに描いていたそうで、片桐も「なんか色味が違うんですよね。ずっと見ていた海と」と違和感を抱いた様子。

さらには「海に行きたいなっていう感じ、スイスは海がないからっていう……時系列で(作品を)見ると、少し切ない気持ちになりますね」と言います。当時のクールベは借金を抱えたストレスもあり、生活が荒れ、アルコールの飲酒量も増加。体調が悪いなかで穏やかな作品を描いていたそうです。

そしてクールベは1877年、58歳という若さで亡くなります。片桐は「激動だったんですね……」と感慨に耽つつ、晩年の作品となる「波」を前に「(背景は)朝焼けというよりは夕焼けでしょうね。自分の人生の黄昏というか、そういうつもりがあったのかわからないけど、海に行きたいなと思っていたのかもしれない」としみじみ。目に見えるものしか描かない、リアルを追求し続けたフランス美術界の偉大なる反逆者に大きな拍手を贈っていました。

◆「片桐仁のもう1枚」はクールベの「雪の中の狩人」

今回のストーリーに入らなかったものから、どうしても紹介したい1作品をチョイスするコーナー「片桐仁のもう1枚」。

今回、片桐が選んだのはクールベの「雪の中の狩人」(1866年)。「雪を描かせたらクールベはすごい。そして、地上の雪と空の描き分けも」と称賛しつつ、「広陵とした風景で色数も大してないんだけど、豊かな感じというか本当に見たものを切り取っているという感じがいい」と選んだ理由を語ります。

最後は片桐が大好きなミュージアムショップへ。パナソニック汐留美術館が誇るジョルジュ・ルオーのコレクションがモチーフとなった扇子やモネのメガネケース、さらにはピカソやダリ、ゴッホ、ムンクなどが描かれたポーチを手にしつつ、最も関心を示したのはルオーの手拭い。以前から手拭いを収集しているなか、ルオーの手拭いは初めて見たそうで「これは買おう!」と即決していました。

※開館状況は、パナソニック汐留美術館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週土曜 11:30~11:55<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00~8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

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