【動画】橋物語・箕島大橋 世界初の海上空港とを結ぶ大橋

箕島大橋 世界初の海上空港とを結ぶ大橋

 四方を山に囲まれ、波静かな大村湾。長崎自動車道大村インターチェンジから大村市内へと車を西に走らせると、湾に向かって真っすぐに伸びる橋が見えてくる。世界初の海上空港、長崎空港と本土を結ぶ箕島大橋。晴れた日には、滑走路を飛び立つ機体が、海と空の青に映える。
 長崎空港は1975年5月に供用開始。もともと13世帯約70人が暮らす周囲7キロほどの小島「箕島」だった。空港建設のため、72年から3年を費やして島を削り、周囲を埋め立てて造成。同時並行で箕島大橋が架けられた。全長970メートル。片側1車線で歩道もある。
 長崎空港建設は、世界初の本格的な海上空港として注目を集めた。72年発行の「市政だより おおむら」は当時の運輸大臣を迎え、約700人が出席して盛大に開かれた起工式を特集。発破により煙を上げる島の写真を掲載し、当時の様子を伝えている。
 工事の様子を目にしていた市中央商店会の前会長、川添勝征さん(79)は「タイヤだけで屋根の高さくらいあるダンプカーが走り回り、いよいよ『空港の町』になると実感した」と懐かしむ。開港後、箕島大橋は市民のランニングコースとしても親しまれ、「空港や橋が市民の日常に溶け込んでいった」
 90年9月、長崎市で開催された「長崎旅博覧会」に合わせ、エールフランスの超音速旅客機コンコルドが長崎空港に飛来。当時の長崎新聞によると、箕島大橋は、コンコルドを一目見ようと歩いて渡る人や車であふれ、「見物客は約1万5千人に上った」という。
 その時、長崎空港ビルデングの川里実代さん(57)は、空港2階の食堂から人や車が橋を埋め尽くす光景を見ていた。「その日は昼まで勤務して帰ったが、橋を渡りきるまで1時間以上かかった」と振り返る。空港は大混雑し、自動販売機にジースを入れる時間もなく手渡しで販売。定期便のパイロットが橋の上で渋滞に巻き込まれ、社員が走って迎えに行った。「あんな経験は後にも先にもあの時だけ」と笑う。
 現在、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、長崎空港の乗降旅客数は大きく落ち込んでいる。がらんとしたロビーで「やっぱりお客さんがいないと寂しい」と川里さん。多くの人が空港に降り立ち、箕島大橋を渡ってそれぞれの目的地へと向かっていく-。そんな日が、一日も早く戻ってほしいと願っている。

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