那覇LRTのルーツはここにあり 2010年11月に沖縄で開かれた「LRTワークショップ2010」【取材ノートから No5】

開業18年目を迎えたゆいレール。那覇空港(那覇市)―てだこ浦西(浦添市)間17.0キロを結びます。

鉄道ファンや街づくり関係者に関心の高い次世代型路面電車のLRT。富山市の「富山ライトレール」の成功や、開業が待たれる「芳賀・宇都宮LRT」など話題の広がりを受け、全国各地で整備を待望する動きが起きています。そうした都市の一つが、人口32万人の沖縄県の県庁所在地・那覇市。同市は2020年3月に策定した「那覇市地域公共交通網形成計画」で、LRTを「街づくりと連携した市域内流動の基幹交通軸」に位置付けました。

〝那覇LRT〟の原点といえるのが、2010年11月に那覇、宜野湾の両市で開かれた国際会議「LRTワークショップ2010」です。戦時中まで軽便鉄道があったものの、2003年8月の沖縄都市モノレール(ゆいレール)開業まで約60年間にわたる鉄軌道の空白期間があった沖縄でLRTの会議が開かれたのは、地域がマイカー社会のひずみに気付き、鉄道やLRTを待望する声が高まってきたからです。当時の取材ノートを見ながら、全国の中核都市に共通する街づくりとLRTの関係性を再考。あわせて、那覇市の最近の動きを取り上げます。

(本稿で使用した写真は全て2020年秋の沖縄取材で撮影した那覇市の交通スナップです)

ヨーロッパやアジアから専門家が参集

那覇市北部の住宅街。本土と違い、高層マンションはほとんど見掛けません。丘陵の向こう側が宜野湾、沖縄の両市です。

会議にはスイス、フランス、ドイツ、韓国などから来日した専門家と、日本の研究者、鉄軌道事業者、それに地元・沖縄の行政、一般市民をはじめとする約200人が参加。地域公共交通の在り方をめぐり議論を交わしました。主催は交通安全環境研究所(交通研)と鉄道総研で、国土交通省と環境省、沖縄県、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)などが後援しました。

話に入る前に、なぜ沖縄でLRTの国際会議なのか? 本稿をご覧の皆さんに、「LRTとは何か?」の説明は不要でしょう。建設が進む芳賀・宇都宮LRT、最近も「車両愛称と停留所名が決まる、長い電停名が並ぶ」のニュースがサイトに掲載されました。

でも、そうした情報に目が行くのは鉄道に関心があるから。鉄軌道はゆいレールだけという沖縄県民の皆さんには、ひょっとしたら「鉄軌道で移動」の発想が抜け落ちているかもしれません。ましてや10年前には、LRTの言葉そのものを知る方はほぼ皆無でした。そこで、一般市民や行政関係者への啓発効果を狙いに、沖縄ワークショップが開催されました。

ライトレールはライフレール

両側に土産物店が並ぶ那覇のメインストリート・国際通り。ここにLRTを走らせる構想もありますが、片側1車線でスペース的に厳しそうです。

会期は全体で3日間。初日は那覇市内で、地元のエッセイストでLRTに詳しい、ゆたかはじめさん(ペンネーム)や国交省鉄道局の担当者が市民向けに講演。2日目から宜野湾市の沖縄コンベンションセンターに会場を移し、海外の専門家による招待講演に続き、交通研、鉄道総研の研究員や事業者などが発表。最終日は全員参加の総合討論というプログラムが組まれました。私は2、3日目を取材しました(以下、役職などは2010年当時のものです)。

招待講演では、スイスに本社を置く都市計画・鉄道輸送コンサルタント企業のイーメック・アンド・バーガーのフェリックス・ラウベ社長が「ライトレールはライフレール(生活鉄道)だ」と提唱して注目を集めました。

ラウベ社長は、ヨーロッパに相次いで導入されてきたLRTが、行政の押し付けでなく、市民の意思で採用されてきたことを紹介。「スイスは、自動車の走るエリアと人のためのエリアを明確に区分する街づくりを進めた結果、ヨーロッパで初めて自動車利用がマイナスに転じた。LRTが導入された街は、高度な都市機能を持つようになり、中心市街地と郊外のバランスが取れるようになった」と成果を強調しました。

交通政策と街づくりを車の両輪に

那覇市中心街はマイカー天国。慢性化する道路渋滞が都市政策の重要な課題になっています。

国内有識者では、名古屋大学大学院環境学研究科の加藤博和准教授(現在は教授)が「人口減少が進む今後の社会では、公共交通より自動車(マイカー)の方が環境負荷を抑えられる可能性もある。街づくりと交通政策を連携して進めないと、LRTで二酸化炭素を減らすという理想は幻想に終わりかねない」と、LRTの会議としては思い切った発言をしました。

さらに「LRTの利用を増やすには、マイカーを日常的に利用する一般市民が、『次はLRTに乗ってみたい』と考える魅力を打ち出すことが必要。あわせて、ダイヤやサービス面でバスやマイカーといった他交通機関との連携を図り、何より『地域にLRTが走っている』という存在感を打ち出すことが重要」と提起しました。

加藤教授は現在も交通政策や街づくりの論客として活躍中ですが、「いくらいいものを造っても、利用されなければ意味がない」の論旨には、さすがとうなずかされます。

沖縄県民一人ひとりの問題として交通を考えてもらうこと

ゆいレール旭橋駅。駅は久茂地川沿いで、近隣に那覇バスターミナルがあります。那覇LRTの路線は地上を走り、実現すればモノレール、バス、LRTの交通結節点になります。

地元有識者では、沖縄へのLRT導入構想を具体的なルートを含めて提唱した琉球大学工学部の堤純一郎教授が地域交通の課題を披露しました。

「日本の平均的都市では、二酸化炭素排出源の2割程度が交通分野だが、沖縄県の場合は28%で、交通の環境対策を急ぐ必要がある。長く鉄軌道輸送のなかった沖縄は、県民に公共交通を利用する発想がない。地域への鉄軌道導入の前提となるのは、県民一人ひとりの問題として交通を考えてもらうことだ」と述べました。

鉄軌道による公共交通の導入可能性

那覇市役所前のスクランブル交差点。現在も人口が増加傾向をたどる那覇は、国際観光振興と交通問題を関連付けて考える動きが活発です。

2020年版「那覇市地域公共交通網形成計画」に盛り込まれた、LRT整備構想は次章に回し、前段として沖縄県の都市計画で初めて鉄軌道による公共交通の導入可能性を指摘した、沖縄県の「交通システム可能性調査」を披露します。調査結果は2010年3月に公表。アメリカ軍・普天間基地(普天間飛行場)の返還問題と、沖縄の鉄道やLRT整備を関連付けました。

普天間基地があるのは那覇市の北側に隣接する宜野湾市。基地は周辺の関連施設も含めると1000~1500ヘクタールの広大な広さで、沖縄本島で人口や産業が集中する中南部地域を南北に二分します。県は基地が日本側に返還された場合、南側の那覇市と北側の沖縄市に分断される都市機能を一体化し、那覇、普天間(宜野湾)、沖縄(市)の3極構造の都市を形成する考えで、マイカーに依存し過ぎる交通政策を見直す視点も含め、那覇、沖縄の両市を結ぶ鉄軌道の整備手法やルート、効果などを試算しました。

県が、鉄道やLRTやモノレールの導入を考察したのは那覇市―沖縄市間の約25キロで、LRTに関しては市内中心部で道路上、郊外で専用軌道を走る鉄道に近いタイプのほか、全区間で併用軌道を走る路面電車タイプも含め比較しました。

代表例として鉄道とLRT(専用軌道タイプ)を紹介すれば、いずれも線路は全線複線で高架上または地下を走る鉄道は最高時速130キロ、LRTは踏切のない高速運転区間は時速100キロ、それ以外は40キロで運転します。整備費用はあくまで概算ですが、車両費を含め鉄道が4023億円、LRTが1940億円(那覇市―沖縄市間)になりました。

その後、那覇―沖縄市間のLRTに目立った動きはありませんが、現在も「将来の沖縄には、LRTをはじめとする何らかの鉄軌道系公共交通機関が必要」という論調は生きているようです。

公共交通網形成計画にはLRTが2案

那覇市の地域公共交通網形成計画には、「LRTなどの基幹的公共交通」が赤の点線で表記されます。(画像:那覇市)

最終章は、2020年に策定された那覇市の都市計画「地域公共交通網形成計画」に盛り込まれたLRT構想を駆け足で。「目指すべき将来公共交通ネットワーク」では、LRTは2路線のネットワークが示されました。路線は東西方向と南北方向で、市内中心部の真和志地区でクロスします。現在の那覇市の鉄軌道系交通機関は、ゆいレールによる南北方向しかなく、形成計画は「LRTなどを導入し、東西方向の交通軸を形成することで、都市のシンボル軸との連携、市域外との連携軸の形成が図られる」とします。

都市計画にLRTが盛り込まれたといっても、直ちに実現するものでないことは、本稿をご覧の読者諸兄は十分にご存じでしょう。私がLRT実現に最も必要と思うものを挙げれば、それは一般市民の皆さんが「これからの那覇にLRTが必要」と思う熱意です。これからも〝那覇LRT〟に注目したいと思います。

文/写真:上里夏生

© 株式会社エキスプレス