【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】私と同級生の女傑・キヨの店「唯尼庵」 野球拳の末に陰毛をライターで…

現在290軒前後ある新宿ゴールデン街も、私が眺めて来たこの50年の間に閉店してしまったお店等も数多く淋しい想いも。その一方で新規開店の店も増え、そうした繰り返しでこの街は生き延びて来た。その逞しさが好きだ。街消滅の危機も何度かあったがそれは又別の機会に書こう!

そうした懐かしい名店に「唯尼庵(ゆぃにあん)」(現「小鉄」と云う名で引き継がれている)がある。キヨ(太田喜代子)の店だ。女傑と呼ぶにふさわしい気っ風のいい女だった。私と同じ昭和22年生まれの亥年。1970年以前は「薔薇館」(井上真樹夫経営)を任されていて71年3月30日に今のG2通りに開店。キヨの誕生日だ。人間座に在籍しその人間座を世に知らしめた「愛奴」の主役も務めた女優さんだった。

まだゴールデン街が妖しげな雰囲気に満ちあふれ“おんな屋”と呼ばれていた店の連なる中に、若い役者、映画人、マスコミ関係者らが集うアングラ色際立つ店だった。70年代の政治の季節の名残で俺の事を“ゲバ”と呼んでいた。ゲバ棒のゲバである。共に役者と云う事と同級と云う事で仲良くしていた。

賑やかな店内で興にのると“おっ今夜は皆んな裸で呑むぜ!”と叫びカウンター中のバイトの英子や女性客も含め上半身裸で飲み明かしたものだ。ある夜は三上寛と俺と2人でスッポンポンでゴールデン街一周し店に戻り“捕まらなかったぞ!”と又一杯。ある時はキヨと店内で野球拳を始め、次々と脱ぎ最後は脱ぐ物もなくなり陰毛をライターで焼かれた事も! 狭い4坪の店内に20~25人とぎゅうぎゅう詰めで大騒ぎの日々だった。でも笑顔の日々だった。

そんな客のなかにはTBS闘争の中心人物・村木良彦、今野勉、バラのトミーこと富田幹雄(夏文彦)、映画監督・黒木和雄、東陽一、榎本陽介、フジテレビのカメラマン・ピート(田中信)、李家芳文、サド(本名は知らない。佐渡出身だからサド)、田中小実昌、りりィ、岡林信康、黒田征太郎…この2人とのエピソードは次に! 凄いぞ(笑)。

(敬称略)

◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。

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