逆境が駆り立てる闘争心「沸々と…」 終戦後の原風景を胸に…女子野球発展へ続く奮闘

全日本女子野球連盟副会長と全国高校女子硬式野球連盟代表理事を務める濱本光治氏【写真:伊藤秀一】

全日本女子野球連盟副会長・濱本光治氏が語る全3回連載の2回目

第25回全国高校女子硬式野球選手権大会の決勝が8月22日、初めて甲子園で行われる。5校でスタートした第1回大会から四半世紀でたどり着いた夢の舞台。その実現には「女子硬式野球の父」と呼ばれた人物の“遺言”があった。全日本女子野球連盟副会長と全国高校女子硬式野球連盟代表理事を務める濱本光治氏がFull-Countのインタビューに応じ、女子野球の歴史と未来について語った。全3回連載の2回目。【石川加奈子】

「四津浩平のやりたかったことを実現するために走っている感じがしますね」。濱本氏は女子野球に関わったこの20年間を振り返って穏やかに笑った。

四津浩平氏は、1995年に日本で初めての女子硬式野球大会「日中対抗女子中学高校親善野球大会」を開いた人物。2004年に亡くなるまで、家2軒分とも言われる私財をなげうって女子野球の発展に力を注いだ。

2001年に花咲徳栄女子硬式野球部の監督に就任した濱本氏が、無私無欲な四津氏に強く惹かれたのも当然だった。埼玉栄、花咲徳栄で教諭を務めた濱本氏の信念は、世のため、人のためになる人材を育てること。病の床にあってもそれを実践している四津氏に感銘を受け、遺志を引き継ぐことを決めた。

女子硬式野球部がまだ1校もないところから全国高校女子硬式野球連盟を立ち上げた四津氏の姿は、濱本氏が自ら歩んできた道とも重なった。「私は原爆が落ちた10年後に広島で生まれた人間なんですよ。まだバラックもあって復興途中の風景が、自分の原風景として心の中にあるんです。だから、恵まれていない環境を見ると、なんとかしてやろうと沸々と湧いてくるものがあるんです」と自らの生い立ちが逆境に立ち向かう闘争心の源になっている。

崇徳高時代は野球部の投手だった。最後の夏は広島大会決勝で、中学時代の同級生だった達川光男氏が在籍する広島商に敗退。広島商はその夏甲子園で全国制覇を成し遂げた。高校で肩を痛めた濱本氏は野球を断念し、千葉商科大では伝拳法道部に入り、個人と団体で日本一になるほど打ち込む一方、帰省した際、母校の崇徳高校野球部の指導にも携わった。「全国制覇の夢を後輩に夢を託しました。私が臨時のコーチをし、大学2年の時には春の選抜大会で崇徳高校が初出場初優勝。それでもう思い残すことはない、野球はおしまいと思っていました」と一区切りをつけた。

花咲徳栄で野球部監督就任要請も…「グラウンドもないし、校舎も建設途中」

そんな思いとは裏腹に、野球との縁は続く。埼玉栄では経歴を買われ、野球部コーチを務めることになった。1982年に開校した花咲徳栄への異動時には野球部監督就任を要請された。「学校ができる場所に行くとグラウンドもないし、校舎も建設途中で全く何もないところでした。それが自分の中で広島の原風景と重なって、なんとかしてやりたい気持ちが湧いてきました」。初代監督を8年間務め、6年目には春の県大会で準優勝するまでになった。

その後、空手道部監督を経て、2001年に女子硬式野球部監督就任を打診された。「1週間悩みました。気になって、練習場を見に行ったら、グラウンドも小さくて、部員も少なくて、素人ばっかりで、キャッチボールすらおぼつかないような状況。そこでまた沸々と湧いてくるものがあり、引き受けました」と言う。創部4年間で練習試合を含めて1勝もできなかったチームを監督就任から5年経った2006年春の選抜大会で優勝させ、夏の大会では2006~12年まで7年連続決勝進出と常勝チームに育てた。

教え子から大学にもチームをつくってほしいと請われ、2007年には平成国際大女子硬式野球部を立ち上げた。さらにクラブチームの「ハマンジ」と「ハマンジジュニア」も結成。濱本氏の愛称である「ハマンジ」がチーム名になっていることからも、教え子たちから慕われていることがわかる。

一貫した指導方針は、野球を通した人間形成だ。「目標は日本一、世界一。ただし、目的は人間形成という形は貫いています。ただ勝てば良いということではなくて、自己の成長と他者への貢献ができる人間じゃないといけなということを常に訴えています」と語る。

国内の普及だけではなく、いち早く海外にも目を向けた。選手の有志を連れて香港でクリニックを3度行い、一昨年は台湾にもチームを引き連れて遠征に行った。そこにあるのは、四津氏の思いだ。「日本の四津浩平が築き上げたものを今度はアジアに広めていけたらと思っていました」と自費で普及活動を続けている。

四津氏の遺言通り、女子硬式野球の物語に関する本も3冊書き上げた。それでもまだ濱本氏にはやるべきことが残っている。それは夢ではあるが、NPB傘下の女子プロ野球リーグ創設だ。(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)

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