「安全・安心」唱えて失敗する東京五輪

精神論先行でなく、今こそ科学的リスク管理を

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西澤真理子

リスク管理・コミュニケーションコンサルタント

西澤真理子

リスク管理・コミュニケーションコンサルタント

リスク管理・コミュニケーションコンサルタント。リテラジャパン代表。インペリアルカレッジ・ロンドンでPhD(リスク政策・コミュニケーション)。厚生労働省などで委員を務める。福島での原発事故時には福島飯舘村アドバイザー。IAEA(国際原子力機関)パブリックコミュニケーションコンサルタント

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 「〇〇的な」「〇〇風に思っています」。近年、日本では学生から政治家まで、判断の責任を問われないような言い回しが多い。こうしたリスク回避時代に「安全・安心」は違和感なくマッチする。だが、リスク管理に「安全・安心」は禁じ手だ。安全が最優先なのに、安心を強調することは精神論を先行させる。その結果、本当にやるべき対策がおろそかになり、リスクと被害が拡大してしまうのだ。安全・安心を強調しながら開催に突き進む東京五輪で日本はどうなるのだろうか。(リスク管理・コミュニケーションコンサルタント=西澤真理子)

東京五輪・パラリンピックのマスコットを背に、記者の質問に答える菅首相

 ▽「安心」ブランド日本

 グローバルに「安心」を発信し、強みにできる日本は素晴らしい。治安も良いし、店員のサービスも親切丁寧。家電から日用品に至るまで、不良品はほとんどなく、偽物をつかまされる危険もない。だから中国人や韓国人が「メードインジャパン」を求め、訪日観光客の爆買いツアーが起きていた。

 「安心」は、パワーワードではあるがもろ刃の剣だ。本当に「安全」が担保できる場合のみ「安全・安心」をつなげて使用できる、という注釈が必要だ。

 本来「安心」を客観的に示す指標はない。「安全・安心」は、「やっている感」を出すパフォーマンスに使われやすいからだ。

 ▽「安全」と「安心」は全くの別物

 「安全」と「安心」の違いを考えたことがあるだろうか。この二つは全くの別物だ。「安全」は客観で、「安心」は主観。客観には根拠が必要で科学的に実証できる。

 主観は人によって違う。ある人が安心と思っても、ある人は安心できないことは多々ある。あくまで心理的要素なので当たり前だ。

 まったく違うベクトルの「安全」と「安心」の二つを一緒くたにして、どう担保できるのだろう。いつからこの言葉が広く使われるようになったのか。

 1995年、阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した。

 思いもよらぬ大地震と都心で毒ガスを使用するテロというダブルショックに加え、バブル経済崩壊の余波で経済的な不安も高じる。それを払しょくするかのように、広がったのが「安全・安心」だ。やがて、行政用語として使われ、社会に定着した(詳しくは拙書『「やばいこと」を伝える技術』毎日新聞出版)。

 「安全・安心」は耳当たりがよい。なんだか大丈夫という「気」がしてくる。2000年代終わりに来日したあるイギリス人に「日本は安全・安心が大切です」と、某厚生官僚が諭した。これを通訳したところ、「アンシンって何?」と聞き返された。リスク管理ではまずは「安全」が問われるからだ。「安全」だから相手を「信頼」し「安心」する。これはブランド構築の基本でもあり、老舗ブランドはそれを体現しているから上客が離れない。

 安全から安心に一足飛びにつながることは、論理的にあり得ない。

六本木ヒルズの回転扉死亡事故で、現場検証する警視庁の捜査員=2004年3月、東京都港区六本木

 ▽「安全っぽさ」の弊害

 「安全・安心」の弊害は、外形的な「なんちゃって安全」を生んでしまうことだ。安全だと思っていたら、実は危険だったというのが一番怖い。

 思い出すのが、2004年に開業間もない六本木ヒルズ正面の回転扉に6歳の子供が挟まれて亡くなった痛ましい事故だ。第三者の調査検証を取りまとめた東京大学名誉教授の畑村洋太郎氏によると、設計にはヨーロッパで発達した回転扉技術を採用したが、素材に大きな落し穴があった。欧州では軽いアルミを使っていたけれども、六本木ヒルズの回転扉は重厚さを重視し、ステンレス製に変更。その結果、重さが3倍になり、危険となった。「見た目」に走った安全設計ミスだ。

 ▽問われるのはリスク管理

 さて、開催まで50日を切った東京五輪・パラリンピック。菅義偉首相は、国会答弁でも記者会見でも「安全・安心な大会」をお経のように唱える。しつこいほどに「安全・安心」を強調し、準備を進める。一方、ここにきて海外からもコロナ対策への疑問が聞こえてくる。

 世界的に評価の高い医学・科学誌は、リスク管理の欠落を具体的に批判している。

 サイエンス誌(5月13日付)は「ワクチン接種率が1%なのに準備ができているのか」と見出しを立てた。日本での接種が遅れる中、オリンピックを開催か、と問題提起する。ジョンズ・ホプキンズ大学の6月8日のデータだと、日本の完全ワクチン接種率は人口比で3・4%だ。ワクチン接種が進んだ英国やアメリカはどちらも43%で、比較すると大きく劣る。

 ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)誌の論評でも、米公衆衛生の専門家たちが異議を唱え、リスク管理手法をすぐに導入して参加者を守るべきだと主唱する。

 具体的には、国際オリンピック委員会(IOC)の行動規範(プレーブック)に定められた感染防止ガイドラインと、世界のアスリートを代表する世界選手協会(WPA)が作成した提言「一般と選手の健康を守るための東京五輪におけるベストプラクティス」を比較検証。WPAベストプラクティス(最善策)と比べると、IOCプレーブックに定められた安全策は不十分だと批判している。

 専門家はIOCガイドラインの例えば以下の点を問題視している。

 選手の「相部屋」使用。食堂を含む共用部での具体的なソーシャルディスタンス方法の欠如。選手の自前マスク使用などだ。

 これらの点は、世界選手協会(WPA)が作成した「一般と選手の健康を守るための東京五輪におけるベストプラクティス」では、一人部屋使用や全屋内での人数制限、医学的認可されているマスクの提供を提言している。

 仮に菅首相が唱える「安全・安心」な五輪を開催するのであれば、不安に思っている多くの国民が納得し、安心できる、客観的に検証しても問題がない安全対策を取る必要があろう。

 コロナ禍は単なる公衆衛生上の「感染症」ではなく、経済や社会システムに壊滅的な打撃を与える。世間の甘い観測を裏切るようだが、数年で終息するものではない。権威ある英医学誌『ランセット』編集長のホートンはそう言い切る。

 経済面でも、開催による経済効果とその後のコロナ感染拡大による経済損失の大きさは、まったく釣り合わない。

 野村総合研究所の試算では、オリンピックとパラリンピックが中止された場合の経済的損失は1兆8108億円。無観客の場合は1468億円だ。2兆円近い損失は大きなダメージに思えるが、GDPの0・33%で「景気の方向性を左右するほどではない」と結論づける。

 緊急事態宣言の影響はオリンピック中止を大きく上回る。損失について、1回目(昨年4―5月)は約6・4兆円。2回目(今年1―3月)は約6・3兆円。すでに、オリパラ中止の7倍近いダメージを負っている。仮にオリパラが引き金で、感染が再拡大し、4回目の緊急事態宣言となるなら、中止の方がコストがかからない。

 オリパラで経済効果と高めるというのも経済的「安心」神話に過ぎない。

東京都庁の壁面に掲示されている東京五輪の公式エンブレム

 ▽今こそ震災時の失敗から学びたい

 10年前の東京電力福島第1原発事故時のような、クライシス時の混乱が起きている。原発建屋の水素爆発の映像をテレビで目の当たりにした後「原子炉は大丈夫。安心してください」と政府に言われても、その言葉を信じる人はどれだけいたのか。

 後日に原発がメルトダウンを起こしていたと発表されたことで、情報への不信感が募った。そのことによる政府や科学者、東京電力への信頼の欠如こそが、福島への風評被害のもととなっている。

 危機対応にリハーサルはない。過去の失敗を繰り返さないよう、リスク管理の基本を実行するしかない。それは、科学を政策から切り離し、客観的なリスク評価を行うこと、そのリスク評価に基づき速やかに政策を実行すること、透明性をもって社会に誠実に伝え、社会の信頼と協力を仰ぐことだ。

 「安全・安心な大会」。菅首相が国内外に発信した言葉は、科学の検証に耐えるレベルには至っていない。オリンピックをめぐって「ジャパン」ブランドの真価が問われている。