Paix2 慰問に革命起こした「刑務所のアイドル」

20周年を迎えたぺぺ。右がMegumi、左がManami

【直撃!エモPeople】全国の刑務所や少年院で2000年からプリズンコンサートを続け、開催回数は現在504回を数える女性デュオ「Paix2(ぺぺ)」が記録更新中だ。マネジャーとともに“極貧ロードムービー”のような活動を続け、刑務所慰問に革命を起こしてきた。デビュー20周年の節目を迎え、コロナ禍でも果敢に挑戦し続ける“刑務所のアイドル”MegumiとManamiにじっくり話を聞いた。

昨年1月、横浜刑務所でのコンサートで前人未到の500回を達成。移動距離は車だけで152万キロメートル、地球38周分を超えた。謝礼は交通費に満たない時もあったが、機材を積んだワゴン車で全国を回った。高速道路を使えるようになったのは、法務省から活動が認められ、矯正支援官に任命された15年からだ。

Megumiは「マネジャーと3人でお金を出し合って、一食1人おにぎり1個という時も。東京の家に帰ると、電気・ガスが止まってて冷蔵庫の中身が腐ってたこともありました」と振り返る。

Megumiは看護師、Manamiは国立大の研究所技術員という前職をなげうっての芸能界入り。家族や知人からは「お金にならないのにどうするの」と心配される日々が続いた。

Manamiは活動の傍ら“懸賞生活”を送った。「お米が当たったこともあります。現金より当たる確率が高いんです。全国で知り合った方からも送ってもらう分もあってお米には困らなかったんですが、お肉は食べられなくて、たまに食べるとお肌がツルツルになるのがわかった」と笑う。

ぺぺが始める前は、刑務所慰問は杉良太郎ら演歌系芸能人が多く、若い女性は受刑者へ与える影響から許可が出ないなどの制約があった。そこに当時20代の2人が風穴をあけた意味は大きい。

2人の歌とMCは、受刑者の贖罪の気持ち、出所後の生きる気力を湧き立たせた。歌を聞いた元受刑者から「元の人生を取り戻そうと思った」「心を入れ替えて社会復帰します」などの声が届き「刑務所アイドル・ぺぺ」が定着した。

「そんな声を聞いて、歌で一人ひとりの心を変えられるという使命感が出てきましたね。心配していた家族も『いいことをやらせてもらっているから続けないとね』と理解してくれるようになりました」(Megumi)

初めは受刑者のチラリとのぞく入れ墨や、鋭い視線に「ゾッとしていた」2人。10回目の舞台で、ある事件が起きた。

ステージ上の歓迎看板が凝っていたので、Manamiが「書いてくれたの誰ですか?」と喜ぶと、受刑者の一人から「はーい!」と大声が返ってきた。さらに「一人で書いたんですか?」と聞くと「ウソです!」。これにManamiは軽い気持ちで「ウソをつくと罪がまた一つ増えますよ」と返してしまった。

刑務所コンサートでは声援や手拍子、立ち上がるのも厳禁。受刑者へツッコミを入れたManamiは「自分の血の気が引く音が聞こえて、暴力団の受刑者もいるし、殺されると本気で思った」が、結果的には場の雰囲気が和んだ。「ブラックジョークも言っていいんだとそこでわかりました」と苦笑い。その話芸はいまやベテランの領域だ。

受刑者がぺぺのファンクラブ会員になることも、家族を通して間接的に許可されるまでになった。500回達成記念に出版された本が「塀の中のジャンヌ・ダルク」と題されたのも、刑務所慰問という世界で、数々の革命を成し遂げたことを表している。コロナ禍で昨年2月以来、プリズンコンサートはできていないが、無観客ライブ映像を全国の矯正施設に送った。

世界進出も見据えている。2人の地元鳥取県の酒造組合の依頼で18年にリリースした曲「日本酒で乾杯!~ふるさと鳥取ver.~」の英語バージョンがこのほど完成。県内の蔵元が仕掛けるインドへの日本酒普及プロジェクトの一環として制作した同曲のMV(ミュージックビデオ)が現地でお披露目され、配信もスタートした。「インドを皮切りに世界中に広がって、日本に逆輸入されるように、海外でも活動したい」(Megumi)

これまでの活動は海外メディアでも紹介された。長年の地道な革命がオンリーワンの武器になっている。

☆ぺぺ(めぐみ=本名井勝めぐみ、鳥取県琴浦町出身、同県倉吉市の病院の元看護師。まなみ=本名北尾真奈美、倉吉市出身、岡山大学の研究所の元技術補佐員)。1998年、日本縦断選抜歌謡祭鳥取県大会で出会い、結成。2000年、インディーズデビュー後、プリズンコンサートを開始。01年「風のように春のように」「元気だせよ」でメジャーデビュー。14年、法務省から保護司に任命。15年、矯正支援官に任命。20年、プリズンコンサート500回を達成。

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