【プロレス絶滅危惧種】米国マットで大暴れした日系レスラーの系譜

左上から時計回りに、ブラッシー(左)と大流血戦を展開したグレート東郷、トージョー・ヤマモト、山高帽で攻撃するハロルド坂田(右)、ミスター・フジ(左)

戦後間もない1950年代の米国マットに、観客の憎悪を一身に浴びた日系レスラーがいた。“日系の流血王”グレート東郷だ。

田吾作スタイル(ヒザ下の長さのタイツ)にげた、法被や浴衣といった東洋風のコスチューム。試合前には塩をまく。ペコペコ謝って相手を油断させ、股間を蹴り上げるなど卑劣な反則技を中心としたファイトスタイル。レフェリーに注意されてもニヤニヤ笑うばかりで、不気味なことこの上ない。これは日系人レスラーの定型となった。

ただ、日本プロレスに参戦した際は外国人の荒技にジッと耐え、流血も辞さない根性ファイトを売りにした。1962年4月27日、力道山、豊登と組んでルー・テーズ、フレッド・ブラッシー、マイク・シャープ組と対戦し、ブラッシーのかみつき攻撃に大流血。この試合をテレビで見ていた高齢者がショック死し、社会問題になった。

グレート東郷の登場で全米各地のプロモーターは、日系レスラーの参戦を求めた。この流れに乗って現れたのは、グレート東郷の弟、トシ東郷を名乗って「トーゴー・ブラザーズ」を結成したハロルド坂田だ。力道山をスカウトした人物であり、映画「007 ゴールドフィンガー」(64年公開)の悪役オッドジョブを演じたことでも知られる。映画で武器となった特殊な山高帽を、リングでは凶器として使った。

グレート東郷はブッカーとして大物外国人を次々に日プロに送り込んだが、力道山死後の63年末、ブッキング料を巡るトラブルが原因で解任される。後任に指名されたのが“日系の不知火”ミスター・モトだ。リングネームは、戦前に米国で人気となった天皇直属の密偵を主人公とした、ジョン・マーカインドの「ミスター・モト」シリーズにちなんだもの。“神風親分”キンジ渋谷らとの日系悪党コンビで、各地で暴れ回った。

そのキンジ渋谷は50~60年代にかけて、ミスター・モトのほか“黒帯親分”デューク・ケオムカや“寝返り野郎”ミツ荒川とのコンビで、60~70年代にはマサ斎藤と組んで数々のタッグ王座を獲得した。

陸軍大将・東条英機と海軍大将・山本五十六にあやかったリングネームで知られた“神風軍師”トージョー・ヤマモトは、60年代にテネシーなどの荒っぽい地区で大暴れ。80年代前半には全日本プロレスから武者修行に来ていた大仁田厚、渕正信のマネジャーを、80年代末には新日本プロレスの橋本真也(ショーグン・マサムネ)、笹崎伸司(サムライ・シンジ)のマネジャーを務めた。

70年代にWWWFマットに登場した“神風参謀”ミスター・フジは、“東洋の悪魔”プロフェッサー・タナカ、マサ斎藤らとのコンビでタッグ王座を何度も獲得。ちなみにプロフェッサー・タナカはハワイ・ホノルル出身のフィリピン系アメリカ人とみられ、少なくとも日系人ではない。

今もインディ系の団体には日系レスラーが時折マットに上がるというが、さすがにグレート東郷がつくり上げたスタイルではないそうだ。(敬称略)

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