1度は野球を諦め電気工も経験 支配下登録の巨人・平間隼人が背負う“覚悟”

巨人・平間隼人【写真:中戸川知世】

四国IL徳島では一度はチームを退団、「1年だけ」と覚悟を決め復帰

付いたニックネームは「キレキレ」。動きが俊敏で、切れ味のあるプレーで打撃や守備でもアピールを続けてきた。2019年育成ドラフト1位の巨人の平間隼人内野手が17日に支配下登録。目標をひとつ叶えた。四国アイランドリーグplus徳島出身の24歳は、1度は野球を辞め、電気工として働いたこともある。それでも「1年だけ」と覚悟を決め、プロを目指して“復帰”するとスカウトの目に留まった。逆転Vを目指す巨人に新しい風を吹かす可能性を秘めている。【楢崎豊】

「泥臭い選手だね」。球団スタッフが“独特”な言い回しで、平間をこう表現した。泥臭い=がむしゃらにボールに食らいつく。美しさはないが地道に1歩ずつプレーをするという意味が込められている。選手にとっては褒め言葉。そのように平間に伝えると、笑いながら、控えめに言った。

「僕は野球しかやってこなかったので、それしかできないです。全力でやって、その先、何が見えるかなって思ってやっています」

野球を1度、辞めた過去がある。それでも、再度、夢を抱き、がむしゃらにボールにくらいついた。高校卒業後、NPB入りを目指し、徳島に入団。しかし「もう無理なんじゃないかなと思った」と実力が追いつかないことや、家庭の事情もあり、チームを退団した。電気工事士として働いた。

エアコンの設置など住宅の配線を請け負う日々。「給料は入りましたから、社会人としてお金の使い方、仕事で稼ぐということはわかっているつもりです」と勉強になった時間だった。しかし、ふと、立ち止まり、足元を見つめた。「自分はまだ21、22歳。まだできるんじゃないか、今しかできないことをやろう。野球がしたい、と思うようになりました」。チームに戻る決意をした。

再加入した2年目の2019年。「最後の1年にする」と決め、徳島・橋本球史コーチと全力でプロ野球選手になることを目指した。打撃、守備だけでなく、磨いたのは走塁。シーズン43盗塁でタイトルを獲得し、“四国一の俊足”というキャッチフレーズもついた。

「足はこれからも生かしていきたいと思っています。でもめちゃくちゃ速いわけではないんですよ。スタートダッシュ、スライディング、隙を見て仕掛けるとか、そつのない走塁を心がけていきたいです」

巨人・平間隼人【写真:中戸川知世】

今季はファーム月間MVPも獲得「ピッチャーが嫌がる打者になりたい」

育成ドラフト1位で巨人に入団し、新人ながら、異例ともいえるキャンプ1軍も果たした。1年目の昨季は2軍戦出場は9試合も、今季はイースタン・リーグで51試合で打率.321。3、4月は打率.387でファーム月間MVPを獲得。アピールを続けた。

「最近、少し三振が増えているんですが、2ストライクからヒットが打てています。追い込まれてからの粘りができるようになったことが大きいです。ピッチャーが嫌がる打者になりたい。それを続けて自信にしていきたいです」

すでに退寮し、一人暮らしをしている平間は、タブレットなどを利用し、自宅で1軍の試合を見ている。野球のことを考えることの多い日々だが、心が癒される時間もある。

「3日に1度、甥っ子とテレビ電話をしていますね。僕は今、甥っ子のためにも頑張っています」

育成から支配下へ。期待を背負い、いよいよスタートラインに立つ。チームには同じ独立リーグの徳島出身で、とび職を経験するなど、経歴が似ている増田大輝内野手もいる。増田大は家族を残し、上京。育成から支配下登録をつかみ、1軍の戦力となった。自分が頑張りが家族の幸せにつながるのだから、守るものがある男は強い。

「1軍のレベルは行ってみないとわからない。自分がどれだけ力が足りないのか、どこが通用するのか、感じることできればいいと思います」

がむしゃらに、泥臭く――。でも、ある時は「キレキレ」で“四国一”のスピードで観客を沸かす。首位・阪神を追いかけるためには起爆剤は必要。そのキーマンになれるかもしれない。平間の駆けていく道が今、開けた。

○平間隼人(ひらま・はやと)1996年12月16日、徳島県生まれ。24歳。173センチ、75キロ。右投左打。鳴門渦潮高3年夏は県大会準優勝。独立リーグ・四国の徳島でプレーし、2019年育成ドラフト1位で巨人入り。背番号は002から93に。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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