尖閣諸島に43年使われていない米軍の射爆撃場、なぜ? 機密解除文書から浮かび上がる日米関係の曖昧な実相

沖縄県・尖閣諸島の久場島(上)と大正島

 日中間で緊張が高まる最前線の沖縄県・尖閣諸島。そこに43年間も使われていない米軍の射爆撃場があることを知っているだろうか。機密解除された米公文書を分析したところ、米政府が1978年に米軍に尖閣射爆撃場の使用停止を指示していた事実が浮上した。なぜか―。以降の米軍による使用実績はなく、現在もこの指示は実質的に“有効”とみられる。強固な同盟を唱えながら、日本の尖閣領有権を認めない米国は、尖閣有事の際、果たして日本を守るのか。使用停止指示の経緯をひもとくと、曖昧な実相が見えてきた。(共同通信=豊田祐基子)

 ▽中国名の米軍射爆撃場

 尖閣諸島を構成する5島のうち大正島、久場島の2島には、それぞれ「赤尾嶼(しょ)」「黄尾嶼」と中国名がついた射爆撃場がある。その歴史は、沖縄の米軍統治時代にさかのぼる。尖閣を含む沖縄は、52年発効のサンフランシスコ講和条約に基づき分離され、米国の統治下に置かれた。2島は米軍の演習地域となり50年代には訓練が始まった。

1951年9月、サンフランシスコ講和条約に署名する吉田茂首相(共同)

 72年には、沖縄の本土復帰に伴って尖閣の施政権も日本に返還されたが、日本政府は日米地位協定に基づいて射爆撃場を米海軍の演習場として引き続き提供することに合意した。民有地の久場島は政府が賃貸料を払って借り上げている。

 日本政府によれば、78年6月以降、米軍が尖閣射爆撃場の使用通告をしたことはない。地位協定上、米国は使わない施設を返還する必要があるが、3月17日の参院予算委員会では、北村経夫(きたむら・つねお)議員(自民党)との質疑回答の中で外務省の有馬裕(ありま・ゆたか)大臣官房参事官が「日米安保の目的達成」に資するとして継続提供の方針を明らかにしている。

 一方で海警法施行で海警局を第二海軍化するなど、尖閣周辺で威嚇行動を続ける中国に対抗するため、尖閣の射爆撃場での日米共同演習を米側に提案すべきではないかとの北村氏の指摘に、岸信夫防衛相は抑止強化へ「不断に検討する」と述べるにとどめ、明確な回答を回避した。

沖縄県・尖閣周辺海域に現れた中国漁船=1978年4月

 ▽肩入れ嫌った米国

 なぜ米軍は78年6月以降、尖閣射爆撃場の使用をやめたのか。その謎を解き明かす鍵が米国立公文書館の文書群に埋もれていた。

 79年11月に米国務省、在日米大使館、在中国米大使館が交わした一連の公電は、前年78年6月に大正島の射爆撃場について国務省が「尖閣領有権を巡る日中対立の激化」を理由に使用停止を命じたことを明記している。

 これに先立つ78年4月、多数の中国漁船が尖閣周辺の領海に侵入し、退去を拒む事態が発生。日中は平和友好条約締結に向けた交渉を進めていたが、日本政府が「尖閣は日本固有の領土だ」として外交ルートで抗議するなど日中関係が一気に悪化しており、米側はこの時期に演習を実施すれば主権を巡る論争に巻き込まれると考えていた。

 翌79年11月6日、当時のマンスフィールド駐日米大使は、在日米軍による射爆撃場の使用再開を許可するよう国務省に要請している。この間の78年8月に日中は平和友好条約に調印するなど両国関係は沈静化していたが、バンス国務長官は「日中の法的管轄権を巡る問題は未解決」として、使用再開を拒否する立場を伝達した。

1977年6月、記者会見をするマンスフィールド駐日米国大使=東京・赤坂の米国大使館

 国務省から見解を求められたウッドコック駐中国大使も「日中いずれかの(領有権)主張に肩入れするような行動を避けるのが米国の利益だ」との見方を示した。

 記者が入手した米公文書には、久場島の処遇についての記載はなかった。しかし、久場島の射爆撃場も78年6月以降は使用されていないことから、米側は大正島と同様の方針を適用しているとみるのが自然だろう。

 在日米軍に78年6月の指示と射爆撃場が使われていないことの因果関係、今後の射爆撃場の使用予定を問い合わせたが、これまでのところ、米軍側から回答はない。

 ▽フリーハンド

 歴代米政権は、日本が施政権を行使する尖閣について対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象としてきた。2014年にはオバマ大統領がこれを公言し、現在のバイデン大統領も菅義偉首相との今年4月の日米首脳会談で従来方針を再確認している。中国の海洋進出を受けて、米国は尖閣での日本の立場に対し支持を強めているようにみえる。

会談に臨む菅首相(左)とバイデン米大統領=4月16日、ワシントンのホワイトハウス(首相官邸のツイッターより)

 しかし、沖縄の施政権を日本に返還したニクソン政権以降、尖閣の領有権については「当事者間の問題」とする中立政策を一貫して維持してきたのだった。最近も米国防総省のカービー報道官が尖閣について「日本の主権を支持する」と記者会見で発言したものの、数日後には「米政策に変更はない」と修正する事態となった。

 尖閣2島の射爆撃場は米軍が日本の同意下で排他的管理権を握っているが、米政府はその前提となる領有権を明確に認めていない。尖閣を巡る「あいまい政策」の象徴ともいえる。

 琉球大の我部政明(がべ・まさあき)名誉教授は、領有権と施政権を分ける米国の政策は、日米の沖縄返還合意後から尖閣の領有権を主張し始めた中台への配慮から生まれた「苦肉の策」と指摘する。米側が射爆撃場を使用しないのは「いざ訓練使用すれば、対立を激化させ、地域を不安定化させると考えているのだろう」とする。現在も領有権に関しては判断を留保し、尖閣への関与にフリーハンドを残しておきたいのが本音との見方だ。大正島、久場島での訓練は沖大東島射爆撃場(沖縄)で代替されているとみられる。

 元米政府高官は「日本の立場にシンパシー(共感)を抱いているが、主権を認めればあらゆる場所で領土問題が噴き出す」として、中立政策は“越えられない一線”だと説明した。

 ▽主権求めない日本

 日本は尖閣に関して「領土問題はない」と主張してきたが、異なる見解を取る同盟国の米国に領有権を認めるよう公に求めたことはない。豊下楢彦(とよした・ならひこ)元関西学院大教授は「問題の本質は射爆撃場の使用権利は維持しつつ尖閣を日本の領土と認めない米国の無責任な態度だ。そこを中国は突いている」と強調する。

 しかし、記者が閲覧した別の米公文書は、日本政府が米国に中立政策の変更を求め、挫折した水面下の攻防もつまびらかにしていた。

1978年5月、ホワイトハウスでカーター米大統領(左)と談笑する福田赳夫首相(UPI=共同)

 先に言及した78年4月の中国漁船の領海侵入事案では、訪米を控えた当時の福田赳夫首相がマンスフィールド大使との会談で日本の領有権に「理解」を示してほしいと表明。ワシントンの日本大使館も「日米安保への疑念を引き起こす」(有馬龍夫・日本大使館参事官)として米側の「見解修正」を求めたが、米国務省は「米国の長期的な必要性を考慮した立場」と要請を拒否していた。

 日本がこうしたやりとりを秘密にしてきたのは、尖閣周辺で挑発行動に出た中国をけん制する必要に迫られながらも、安全保障を依存する米国に公に領有権を否定されるようなことがあれば、実効支配を握る日本の主権主張に傷が付きかねないためだろう。

 96年にモンデール駐日米大使が尖閣での紛争に介入する「日米安保条約上の責務はない」と発言した際、対米協議に参加した元高官は「先方は、中立政策は米国の伝統的立場だと繰り返すばかりだった」と振り返る。この高官は「重要なのは日米安保条約だ。同盟の信頼性を保つには、尖閣の領有権を巡る日米のずれを顕在化させてはいけない」とも話した。

モンデール元駐日米国大使=1995年1月

 決して使われることがない久場島、大正島の射爆撃場の背景には、尖閣を巡る日本の微妙な立場が影を落としているのは間違いない。日本政府関係者は「尖閣への米軍関与の証し。存在していることに意味がある」としており、現状維持が最善との見方を示した。

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