「ミャンマーが正義を取り戻すよう後押ししてほしい」。千葉市で5月に行われたサッカー・ワールドカップ(W杯)予選で、ミャンマー国軍への抗議を示す3本指を掲げたゴールキーパーのピエ・リヤン・アウンさん(27)が6月、帰国を拒否し、難民認定を日本に申請した。無言の抵抗から約3週間。チームからの離脱に3度失敗し、最後のチャンスとなった出国審査で勇気を振り絞った。帰国か決行か。本人との数回にわたるインタビューで、直前まで揺れた若者の葛藤と抗議に込めた思いに迫った。(共同通信=山崎唯)
▽クーデターが見方を変えた
「私はミャンマーに帰りたくない」。16日午後9時半ごろ、関西空港の出国審査場。慣れない英語で懸命に訴えた。「命の危険がある」。スマートフォンに届いた知人からの日本語メッセージも職員に見せた。日本残留に失敗して国軍に知られた場合を恐れ、すぐに消した。
国際線出発口に入ってから3時間弱。職員に付き添われ空港ロビーに戻ると、待っていた支援者と固い握手を交わした。
実は、以前は国軍を支持していた。国民を守る存在と考え、少数民族との戦闘で国軍側に死傷者が生じれば悲しみを感じてきた。しかし2月、その見方を百八十度変えることになるクーデターが発生する。
▽日本でメッセージ発信すれば…
抗議する市民の鎮圧には、実弾も使われた。「頭を狙い実弾を使うなど言語道断。国軍はニワトリ1羽を絞め殺すかのように国民を撃ち殺す。本当に許せない」。クーデター後、ヤンゴンで寮生活の傍らデモに参加してきた。地元所属チームの選手はゴム弾で首にけがを負った。SNS上で軍を批判した友人も逮捕された。
ミャンマー代表になることは最初は辞退するつもりだった。国軍の発砲でデモが抑えられ、死者数だけが増えていく日々に耐えられず、対抗するため少数民族武装勢力の軍事訓練を受けようと思っていたからだ。危険が伴うことは理解していた。ただ、このままヤンゴンにいても、夜に短い時間デモをするだけで、何もしないに等しい状態で終わってしまう。「訓練には女性も参加している。男性である自分にできないはずはない」と自身を鼓舞した。しかし現地で戦闘が続き、参加の道は閉ざされた。
そして、ミャンマー代表として、日本で抗議行動を取ることを考え始めた。
「ミャンマーでデモに参加して抗議しても大勢の中の1人にすぎず注目されないかもしれないが、サッカー選手として来日して3本指を掲げることは非常に大きな注目を集めるので、メッセージ性が強い」
▽実行
やるか、やめるか―。日本への機内で、抗議するかどうか悩み続け、決断したのは5月28日の日本戦に向かう車内だった。ボールペンで指に「WE NEED JUSTICE(私たちには正義が必要)」と書いたが消えてしまい、会場のトイレで書き直した。90分間掲げ続けようかとも思案、控えのゴールキーパーである自分が中継に映るタイミングをうかがった。国歌斉唱時に、カメラが各選手を撮り始めると「今だ」と指を掲げた。
「この後、どうなってしまうんだろう」。掲げながら、ずっとドキドキしていた。リスクは高いが、国際社会に訴える絶好の瞬間。“軍の派遣に応じた選手団”との批判も、はねつけたかった。
翌日、ミャンマーのサッカー連盟側から二度としないよう注意を受けた。「帰って来ない方がいい」「とにかくそこにいろ」。ミャンマーの知人らはしきりに心配した。祖国では拘束翌日に遺体となるケースも頻発。見せしめ的な厳しい処罰が懸念された。2戦目後の6月11日、残留を心に誓った。
電話はチーム側に没収されたが、協力を申し出た支援者から別のスマホを入手していた。知人らとやりとりを重ね計画を話し合った。
▽諦め
最初に離脱を図ったのは15日夜の最終戦後だ。食事時に滞在先の大阪市内のホテルを抜け出す作戦だったが、3階から走りだすと、2階で警備員に捕まる。その夜はほとんど眠れなかった。
16日、ホテル内を警戒するスーツ姿の男性が増え、不穏な空気が漂った。こっそり抜け出す計画は暗転。「こんなはずでは」。ホテル側や選手団やミャンマーのサッカー連盟にもばれていた。帰国しなければ、監督やチームメイト、家族が危害を受けるのでは―。日本に残るか、帰国するか揺れ始めた。
▽決断
その後、知人らからの励ましで改めて挑戦を決意。支援者に「これから下に降りる」と連絡、部屋から外に出たが、警備に止められた。ホテル玄関に車を走らせて待っていた支援者に「無理だ」と伝えた。
搭乗便出発まで約4時間となった午後8時。周囲に再び「帰国を決めた。迷惑をかけたくない」と漏らし、選手団と共にバスに乗り込んだ。
「ごめんなさい。国に帰る」。支援者の電話に声が残っていた。空港では、わびるかのように顔の前で手を合わせて会釈。「やはり帰国か」。支援者に落胆が広がった。
「まだチャンスはある」「絶望的にならないで」。スマホに次々と励ましの言葉が届く。諦めず最後まで頑張ろう―。出国審査で決意は再燃。勇気を振り絞り意思を訴えると、別室に通された。
「安全な場所で、日本に残ると言いたい」。残留の決心から6日目。念願はかなった。「ミャンマーで何が起きているのか知ってほしい。私たちが正義と公正な社会を再び獲得できるよう後押ししてほしい。抗議したことに後悔はない」。チームメートの無事を祈り、日本から祖国の平和を訴え続けるつもりだ。