【加藤伸一連載コラム】神頼みもした ゴールの見えない“リハビリの旅”

右肩手術を機に長くつらいリハビリが始まった

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(29)】1992年7月2日、入院先の福岡大学病院で原正文先生の執刀による「右肩関節障害」の回復手術を受けました。最近ではヒジの手術を経て復活する例も珍しくなくなってきましたが、肩となると話は別です。商売道具にメスを入れるかどうかは、ずいぶんと悩みました。

決断に至った理由は大きく2つ。従来の保存療法では同じことを繰り返すだけという考えと、球団に認めてもらった上での手術なら、リハビリに必要な時間を確保できるのではないか…との思いがありました。肩にメスを入れて復活した例を聞いたことがなく、長くつらい闘いになることは容易に想像できましたし、とにかく僕には時間が必要だったのです。

8月下旬には執刀医のゴーサインもあって20メートルの距離からキャッチボールを再開しましたが、はっきり言って、手術前と痛みは変わりませんでした。原先生も「復帰のプログラムからすれば、今回の手術は50%程度の段階」とおっしゃっていましたが、やはりショックでした。

ここからがゴールの見えない“リハビリの旅”の始まりです。チームのコンディショニングコーチだった手塚一志さんの指導の下、PNFなどで筋力や関節の可動域の回復を図る一方で、人から「いい」と聞けばどこの病院にでも出向き、最新と言われる治療法から中国はりや気功まで、ありとあらゆるものを試しました。

もちろん、神頼みもです。年に2回、約800メートルの参道と海に沈む夕日が一直線につながる「光の道」で有名な福岡県福津市にある宮地嶽神社にも月替わりの晩には欠かさず参拝していました。

このころ朝起きて最初にしていたのが、肩の状態の確認です。軽く動かしてみて引っかかりを感じればため息をつき、違和感がなければ喜ぶ。街中を歩いていても無意識のうちにシャドーピッチングのまね事をしていたり、店先のガラスに自分の姿が映ったらすかさず投球フォームを確認。365日、肩のことばかりを考えているような状態でした。

リハビリは完全復活を目標に続けていたことですが、目に見える形ですぐに成果が出るわけでもなく、ついついマイナス思考にもなってしまいます。「いろんな治療を試したところで本当に治るのだろうか?」「治ったら再び肩を酷使することになるんだから、リハビリなんて、やるだけ無駄なのではないか」と。

そんな試行錯誤を続けていた中で、僕は一つの結論に達しました。痛みを恐れるのではなく、鍛えて痛みを感じない体にするという発想の転換です。

☆かとう・しんいち 1965年7月19日生まれ。鳥取県出身。不祥事の絶えなかった倉吉北高から84年にドラフト1位で南海入団。1年目に先発と救援で5勝し、2年目は9勝で球宴出場も。ダイエー初年度の89年に自己最多12勝。ヒジや肩の故障に悩まされ、95年オフに戦力外となり広島移籍。96年は9勝でカムバック賞。8勝した98年オフに若返りのチーム方針で2度目の自由契約に。99年からオリックスでプレーし、2001年オフにFAで近鉄へ。04年限りで現役引退。ソフトバンクの一、二軍投手コーチやフロント業務を経て現在は社会人・九州三菱自動車で投手コーチ。本紙評論家。通算成績は350試合で92勝106敗12セーブ。

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